今日から涅槃の道場の始まりだ。

 コンコン、コンコン、。・・・コンコン、コンコン。誰かの手が、民宿の離れの戸を叩いている。私は、その音で目が覚めた。昨日、私が泊まったのは、昔ながらの硝子戸があり、襖が日に焼けて、昭和の下宿を思い出させるような部屋だった。人恋しくなるような部屋でもあった。

 寝床の中で、私は、宿のおばさんが起こしに来たのか、と思って、訝しげにキョロキョロしてみたが、誰もいない。

 ポツン、と、私の意識は気づいたのだけれども、誰かが呼びに来たようなコンコンという音は、外の風が、入口の硝子戸にあたって響いてものだった。

 私は、一人だし、部屋は壁に閉ざされている。けれども、風の音が、硝子戸を通り抜けて、流れるように過ぎて行く。

 悪のはびこる仮ユガの時代に、主観が壁を感じるのは、当然のことだろう。しかし、今、私は、・・・うーん、・・・妙に・・・、この空間が生き生きとしているように感じ始めている。部屋が古いことは忘れているようだ。

 これまで、何度か、宿に泊まったが、私は今回のように、まっ透明な永遠の命を、空間全体にまで感じたことはなかった。

 考えると、俗世でいつも私は、何かの透明な壁を感じて、生きていたようにも思う。私は、生きながらの霊体のようなものだった。たとえば、色々と見えない空間で繋がっていても、相手の孤独感が、私の孤独感になる。いや、繋がっているからそうなのかも知れない。だから、「人は一人では生きて行けない」などと言う安いセリフは、私の心の空間には届かなくて、聞きたくない。そのレベルでは、私は、余計に孤独を感じてしまう。しかし、・・・・・・つづく。