子供にしても、大人にしても、この人が自分の心の空間で、今、何を見ているのか?、また、その人の心の空間の仕組みで、自分自身が気づいていない仕組みの部分は何なのか?。そういうことを、普遍的な永遠の命から、見つめ直さないと、いいとか悪いとか、勝った負けた、損か得か煩悩の話になってしまって、結局、現実に負けるか、価値観か世界観の結論になっしまう。一時的には、それでいいと思うが、人生を生ききるための役に立たないのでは、と私は思う。心にまともな基盤がないと、成就する前に、挫折する確率が高いのだ。

 簡単に言うと、人の生命エネルギーが増して、透明感が増て、オーラが輝いたり、威光が出現し始めるようになてっから、何かを正しく成就する、ということだろうと思う。そして、その人は、さらに、発展して、全く普通の人と変わらないのに、明らかに全く違う人間ができる、ということだと思う。

 私は、今日一日の残りの時間を、私の心の空間で、永遠の命も感じながら、心の精神性に包まれて、過ごしてみようと思った。

 商店街は、現世の人々が、買い物をする為に行きかっている。私は、その中を、鉢を持って、何かに包まれたような透明な壁を感じながら、歩いてゆく。通りゆく人は、目も合わない様子で、私は、誰からも取り合われぬ異空間の人のようだ。小さな子どもだけが、私に手を振る。・・・つづく。