訓練的な世界観の教育が、有益な成長を促して、本人の為や住みよい世の中の為になるのか、緩やかな世界観の教育が、有益な成長を促して、本人の為や住みよい世の中の為になるのか、いずれにしても、人生の危険と落とし穴と苦と楽はあるわけで、とりあえず、今いるのは人間の世界なんだから、多くの親は、自分の子供が真人間になる為に、まっ透明な永遠の命を知り、ボチボチと頑張って、深層意識や心を清めてほしいと思うのが当然なんだろうけれども、もう、世間の深層意識は混乱して、目的の達成のために、真人間としてのタガが、とうの昔に外れているような感じがあり、もしかしたらデタラメナ世の中なのかも知れないので、多くの人は、そのデタラメという世の中を横目で見ながら、厳しい世の中を、まじめに生きて、言葉が通じず、つらさをこらえて、上っ面流れて、暗黙のマニアルもどきを守って、頑張っているのかもしれない。何を言ってもつらいね。

 だけど、その一方で、いいことも沢山あるんだろうけどね。ただ、ただ、私のところには、余りまわっこない、、、という感が、あるんだなぁー。あんたもそうでしょう。あはは。つらいね。何がいけないのかね。空気を読めと言われても、自然法則からみると、その空気が、光化学スモックだったりしてね。つらいね。

 若い遍路さんよォ。あんた、今は、「なんかヨウカイ?。」だけど、いい先生になって、子供たちが、自分で自分の心の隙間を埋められるように、手をかけて、アドバイスしてやってくれ。まぁー、理想だけどね。

 若い遍路の彼は、別れ際に、

「和尚さんと一緒に歩くと、意識がすごいスピードなんだけど、体感的には、時間がゆっくり流れて、楽しかった。」と、お遍路空間の中で、生べたな私に、永遠の命の感覚が伝わったことを告げてくれた。強い心を持とう。・・・つづく。