朝一番から、私は、坊主が上手に、坊主の絵を書けない、などと自分を慰めて、彼に捕まらないうちに、出発する。
私が、とろとろと、次の札所へ歩いていると、前の寺に勤めていたころのことを、思い出した。
その時、私はある若者の相談にのっていた。
その若者は、どこで聞いたのか、前世の報いだと思う、と前置きをして、
「僕は、普通にしているのに、人にいつも悪く取られるんですよ。この前なんか、財布がなくなった人がいて、僕は、泥棒の濡れ衣まで着せられましたよ。」と、落ち込みながら、憤って話す。
私は、見方によっても違うのだが、と前置きをして、
「瞑想中に、一度だけ見せてもらったことがあるんだけど、人間の魂にも、光の粒みたいなのがあって、その光の粒に、自分の行ったことや話したことや思ったことなどが、エッセンスのような形で記憶されているんですよ。光のDVDみたいな感じかなぁ?。
その記憶は、一般的に、業とかカルマとか言われるんだけど、その行いのエッセンスと言うか、エネルギーと言うか、その行いの、永遠の命との共鳴率、これが、善性を左右するんだけど、そこがポインになるんだと感じているんですよ。
で、多分、その光の粒が、いつも現在の行動に影響を与えているんですよ。これは、自分のことだから誤魔化せないんですよねー。この乱れを善くするには、魂的レベルからの善行を積むしかないんですよ。」と、分かったふうに答えた。
もちろん、嘘ではないが、今一つ、お茶を濁したという感じがぬぐえない。拝むことや瞑想をすることなども進めてみたが、どうも、神様や仏様と自分とで、清めるという感覚は、精妙すぎて、言葉で、上手に伝えるのは難しい。
閻魔さん!。彼らは業が深いし、私は今一つ足りないし、・・・死んだ後は、どうなるのでしょうかね。
まァー、頑張って清めるしかないですよね。・・・やがて来る、その時はよろしく。・・・・つづく。