さて、愛と愛欲、徳と道徳、それらは、どこまでが良くて、どこからが悪いのか、どこまでが許されて、どこからが許されないのか、そのこと全体が迷いなのか。

 物質界にも、エントロピーという限界点がある。魂にも、目に見えない自然法の限界点があることは予測できる。だから、問題なのは、人の意識レベルが、さまざまで、それに伴って知識と見方の違いがあり、自然法の限界点が見えなくなっていることだと思う。

 私は、本来なら自然法の限界点を超えることは、人間にとって、出来ないことだという感覚だ。しかし、現実は、さまざまな思いのせいで、一時的に超えている人が、多くいる。大変なんだろうなと思う。

 それが現実なら、私は、その解決の杖として、せめて仏に通じていてほしいと思う。遍路が、お大師さんの金剛杖を持って歩いているのはそのためだろう。自分を救う杖の意味を考えてほしいと思う。

第五十五番南光坊(本尊・大通知如来・南無大通知照佛)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りした。

 南光坊を出て、街中を歩いていると、二十歳の男性の遍路さんに出会う。彼は銀平(仮名)と言う料理屋さんの板前で、そこの会社が、お四国遍路を推奨していて、今、歩いているのだと言う。旅費も会社持ちなので、元気よく歩いていた。・・・つづく。