私は、五十二番札所を目指す。雨の中を切々と歩く。

 昨日のおばぁさんは、「後は歩くだけ。」と言っていた。

 私でも、以前に、お四国を歩いて二百回以上廻った人の、うわさ話を聞いたことがある。二百回だと二十二年以上かかる。その人は、切々と歩くことで、前向きの心に、次の世界が見えてきたのだろうか。救われたのだろうか。

第五十二番大山寺(本尊・十一面観音・おん まか きゃろにきゃ そわか)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りする。そして、

『昨日のおばぁさんでも、誰であろうとも、個別の魂は、進化を喜ぶようなものだから、進むことに付け加えて、魂の進化を許していれば、とりあえずはいいのだ』と思った。

 大山寺で、弁当を食べて、団体参拝の人を相手に托鉢をして、次の札所へ、歩き始める。

 魂の進化のレベルによって、色々なことが起きるのだと思うのだが、私は、その出来事をどこまで受け入れることができるのか、自分自身で疑問だ。やがて、

第五十三番円明寺(本尊・おん あみりた ていぜい からうん)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りする。そして、

『現世の出来事は、魂のさまざまなレベルで起きている訳だが、その出来事を受け入れると言うよりは、菩提心や永遠の命を受け入れる方が簡単だと思つた。もともとは、菩提心や永遠の命の法則に従って、出来事はついて付いて来ていたわけだから、どこかの時点で、その出来事がつらい出来事であっても、永遠の命や菩提心を受け入れることで、やがて、救いに変わる可能性が高いのだ』と思った。

 円明寺を出て、海岸沿いの道を進む。・・・つづく。