朝になると、作道の基地なので、テントの近くに、ガタン、バタン、とトラックが止まった。私は、その音で目が覚める。

 やっぱり、怪しい奴と思われたら困る。それで、私は、テントからごそごそと這い出して、トラックに向い、会釈をした。すると、運転席から地元の男性が出てこられて、 

「この山は冷えるから、これから先は寒くなるばかりだから。」と、教えてくれる。

 私は、二言三言の話を交わして、今夜も寒いのかぁ~。ガッカリしながら、覚悟を決めて、テントを畳んだ。それから、ぼつぼつと歩き始める。

 すると、何だか、ウォーカーズハイになりやすくなっていた。心地よい速足で歩いている。それに加えて、足の痛みがないことに気づく。私は、座り込んで靴下を脱いで、足の豆を見た。

 本当は、足の豆を治療した方が、良かったと思うのだが、私は、足を痛いままにして、何もしていなかった。

 今見てみると、足のグジュグジュの豆も血豆も、一晩のうちに、固くなっている。『こんなになるんだぁ。』、でもOK、もうこれ以上、豆の出来ることはないだろう。

 信仰という枠の中で、山の中の氷のような寒さのために、私の心が、色々と動いて、考えて、深層意識の中の闇や、深層意識と普遍的な自然の意識との関係に気づいて、私の心は、「あぁー、そうだったんだぁ。」と、感情と共に、ありのままの理解をした。それにつれて、脳が正しく活性化されたんだと思う。

 いいかえると、深層意識一部が、現在意識のレベルまで、活性化されたんだと思う。その気づきは、体にとっては、まっ透明な生命エネルギーが増すということでもあると私は考える。

 そして、生命エネルギーが、正しく使われれば、足の豆ぐらいの病気は、一晩で治るということだろう。

 ただ、個人が勝手な理解をしないで、深層意識について、気づけるというところに、難しさがありそうだ。

 人の心は、心理学を勉強をしても、現場に合うようには、なかなか理解できないと、私は思う。それだから、人の心には、いつまでも闇があるのだろう。理解には、体の中の正しい気の流れが、不可欠だ。

 でも、私は、足が治って喜んで歩いている。痛くないのはいい。これも現実だ。・・・つづく。