それで、寅さんは、いつも我慢しているような感じとともに、言葉での表現が苦手で、短気な子供になっていた。そして、彼は、中学校を卒業した時、親戚の「とらや」を出て、風に流され、テキ屋になった。

 テキ屋ぐらしで、寅さんは、啖呵(たんか)を学び、人を喜ばせることを知ることになる。やがて、彼は、マドンナたちに、人のいい恋を「ハイー。」って、繰り返す。

 彼が、自分を考えれば考えるほど、結局、失恋は仕方がなく、仕方のない失恋にもほどほどに慣れて、自分の心の根底に寂しさがあり、それらの影響が、深層意識の中でいろいろ作用していることを、馬鹿な寅さんなりに知ることになる。

 私は、人間の深層意識は、自分の三歳ぐらいの記憶がないのと、同じぐらいに気づきにくいと思う。

 さらに、自分の都合での至福感覚も、心の傷も、打算を含んだ甘えも、自然法則上の正当な心の動きもわかりにくいと思う。 

 じゃぁ、それが分かって、何になるのか、と言われれば、(仕組み的に)、その人の根本的な生命力が上がることになるわけで、少しは安心して生きれるようになるのだと思う。生きやすくなるのだと思う。

 と、寒さの中での、あくまでも寄せ集めの空想とその結論は、ここまでだった。

 闇透ける 晩秋山の 寒さかな。・・・・つづく。