心を何かの力で抑制すると、生きる力が弱くなり、苦しみが気づかないうちに切実となる。人の活力が無くなり、虚無感と無気力がはびこる。やがて、怠惰になり、希望を失う。
心を野放しにすると、各々が、あらゆる欲望をかなえようとして、勢いのあるうちは、その欲望に向かって、法則的秩序を考えずに、走り続け、やがてエネルギー不足になり、痛みと共に終わって行く。
ただ、私は、現実がこれほど単純ではないとも思っているが、流れのベクトルを突き詰めると、似たようなものになると思う。
そして、微妙なバランスを保ちながら、この二つのベクトルが、時代を作り、コンセプトをはじき出す。
微妙で精妙なバランスは何処から来るのだろう。法則的秩序という事があるのなら、それを支える元があり、それを支える仕組みが自然界になければ、どこまで考えても迷うだけだ。答えの分からないまま、微妙で精妙なバランスをどうやって身につけるのだろう。
自分のいるこの場所で、この世のバランスを元に帰ってバランスする。
テントの中で、生きる力を失わない為に、心を自由にして、精神の固さの溶けるのを待つ。仰向けに寝て、右手を心臓のところに起き、左手で、右手の脈を感じた。脈と共に心臓の動きを感じ、呼吸に意識を置いた。呼吸は自然にして取り繕わなかった。少し苦しそうな呼吸だった。バランスを取り戻そう、この時間だけは、と思う。・・・つづく。