スカイラインという道路は、海岸沿いの小高いところにあった。海岸線の雑木は、人の手が加えられていないので、自然のそのままの調和が見てとれる。海の水が透明で、底の石まで見える。エメラルドグリーンの海の色が、沖に行くに従って青色に変ってゆき、白色と灰色の雲の隙間から、太陽光線が、スポットライトのように、あちこちに差し込んで、私は、創世の神秘を感じた。とても清々しい風景だ。

 ただ一点、車さえあれば。

 スカイラインは、自動車向きに造られていて、人間が歩くには、きつ過ぎると、私は思う。それでも、唐変木のようにこの道を前のめりになって歩き続けた。

 私は、ドライブインの自動販売機で、ジュースを買って飲み、さらに歩き続ける。自動販売機のところには、ドライブを楽しむ人たちがいたと思う。

 三・四分、歩いたころだっかなぁ。自分ではそう思うのだが、もっと時間が長かったのかもしれない。ふと、「あの坊さん、もうあんな所まで、行っているよ。」と、私の脳だか耳だかに聞こえる。風に乗って聞こえたようにも感じた。その声に私が、振り返ってみると、道を登って下った先に、さっきのドライブインが、小さく見える。私は、「えっ。」。三・四キロは歩いている事になると思った。ドライブインの人の声が聞こえる訳がない、なんで?、と思いながら、歩き続ける。もう、ハイなのか、あせって、歩いているのか、分からない状態だ。足も痛いような、麻痺しているよな感じだ。それでも、歩け、歩け、歩け。

 ふらふらだぁ。「あれぇ。」予定したところが見えてこない。私は、不安になって、もう一度、地図を見なおしてみた。すると、近いと思っていた道が、実は遠回りだったのだ。愕然とする。お遍路をしていて、これまで以上に、自分の中に自然と起ってくるような「勘」だけは自信があったのに、「ここは何処、私は誰。」なんて、冗談にもならないよ。

 自分の中を、色々察知してみたけれど、どの想いが自分なのか分からなくなってしまっている。

 私は、今朝の青龍寺への道中で、トイレに行きたくなり、喫茶店に立ち寄った。大きい方に行きたかったのだが、先客がいて、ずい分と待たされ、ひたすら我慢する羽目になった。金もないのにコーヒーを飲んで、私の体は、用を達してもスッキリしない。肉体的深層意識の中に、ストレスができたような感があった。便秘の人も、深層意識にストレスを抱えていて、どの想いが自分なのか分からなくなる時があるのだろうか?。・・・余談だ。

 とにかく、私は、ダメな自分を、悔しいと思いながら、歩き続けた。もう、足も体も限界だった。

 薄暗くなって、喫茶店の前に、[お遍路さん、近道があります。]という、張り紙が目に入った。私は、

『これは聞くしかない。』と思い、近くの工場から出て来たところの男性に、近道を尋ねてみた。すると、男性は、ニコッとして、

「良かったら、乗って行きませんか。」と言ってくれる。私は、「えっ、ハ、ハイ。ありがとうございます。」・・・つづく。