私は、彼がどんな人間なんだろうといぶかしんだ。

 土手の枯れ草の上に座って、さっきの老僧の本を、拾い読みしてみた。

 その本の中には、彼が命にかかわるほどの人生の理不尽を噛みしめた事、それが理由で出家した事、若い僧侶が悟ってもいないのに要領だけはいい事、自分のつまらないプライドで、お四国修行に出た事などが、書いてあった。さらに読み進めていくと、本の最後のところに、著者紹介の欄があって、そこに、老僧は癌を患っていると書いてあった。私は、彼に手術する気はないのだろうと思った。

『最後のお四国参りだったのか。』 それならそれでいいんだろうと思う。生きたんだから。

 そう言えば、前の寺に私が勤めていた時の住職も癌を患っていたなぁ。彼は何度も手術をして、うまいものとお姉ちゃんを好んで、長生きのがん患者だった。私は、化け物かと思っていた。甘さを勘違いした坊主でも、有名な寺であれば、仕事上で、あちこちの法要に参加する事になるので、結果的に拝んだ事になる訳で、だからこそ長いきな訳で、「自分の衣(業)を洗うものは幸いである」、と言う聖書の言葉を考えた。

 私は、善が善を生んでほしいと思うが、死んでから、彼らがどうなるのかは、言えません。・・・・・つづく。