焼山寺を、午後の五時ごろ出発する。少し雨が降り始めた しばらく下ると暗くなり始める 同行二人の札がよく目に入る 不安なのか 懐中電灯を頼りに進む 動きそうにもないぐらいに疲れている脚が足早にすすむ 雨が降る 霧が出る 立ち止まって道を探す 霧が深くなる 足元だけを照らして進む 霧が開けて 遠くで犬が吠えて 村の明かりがポツポツとみえてくる。一・二時間ほど下って、やっとテントの張れそうなところを見つけた。今日も野宿する。なんか野良犬か野良猫になった様な気分がある。もうこれ以上落ちないような動物気分でも、暗い中を抜けてきたせいか、なんだかありがたい。動物としての人間の本当のところかも。こんなんでも、命が惜しいのかな。

 藤井寺からの山道は、店も何もなくて、苦しいばっかりの一本の山道で、人間の動物的欲望と向き合う道だったかもしれない。

 消化しきれない欲望か願いの先に反目の情がある。それは、生命エネルギーの不足でもあり、命のルールに対する無知でもある。私は、そのルールをそれなりにしているつもりだが、道が二つあるとよく失敗する。

 くじけそうで、不安で、迷いそうになる時、お大師さんと同行二人が、生命エネルギーの不足を補って支えてくださるようにも思う。今まで何人の人が、同行二人、この道、人生道を通ったのだろうと考えた。南無大師遍照金剛。・・・つづく。