人間ナ、錯誤した、反目の情をだれが埋める。
藤井寺かの遍路道は、昔ながらの山道に入り、厳しいのぼりが続く。足元が悪く、荷物が肩に食い込む。少し下ったかと思うとまたのぼる。山の中の一人旅。シーンと言う、静けさが透明な妖気の様に、漂う杉林。明りを目指して登って行く峠道。パァーと、開けて日の射す頂上の道。遍路は哲学者になり、人生を思う。(人間ナ、反目の情をどう埋める。)『無邪気さは、消えたのか。』
山越えの途中に案があり、番外の札所になっていた。湧水をがぶ飲みして、お参りを済ませたら、お茶を接待してくださった。甘いお菓子を、遠慮がちに頂き、少し話をして、元気を取り戻し、出発する。
しかし、残りの道もなかなか大変な道だ。石ころが多い。道を間違える。やはりこの道は難所中の難所。一番札所から歩き続けた者にとって、特に、疲れのピークにピークが来る。最後は、杖にすがって、石ころだらけの道を、足を引きずるようにして、登った。
第十二番(本尊・虚空蔵菩薩・のうぼう あかしゃ ぎゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りした。午後四時過ぎだった。
今日は、パン一つとチョコレートしか食べていない。山の中なので食事は諦めていたのだが、境内に、一杯二百円のうどんがあると言うので、すごいサービスだと思い、三杯食べた。四国はうどんが割と安いのを知らなかった。食う時だけは無邪気な子供なのか?。自分に皮肉を言ってどうする。・・・・つづく。