今が始まり、とは言うものの、・・・気休めだ。などと、考えながら、バスに揺られて御真言を唱え続けた。もちろん、心の中でだ。黒い衣を着たのが、ぶつぶつ、ぶつぶつと御真言を唱えていたら、駅じゃなくて病院に着いてしまう。行者に対しての世間の目は、そんなもんだろう。行者も変なのがいるし、「変わったコスプレですね。」と言われないだけましだ。
バスは駅に着いた。それから列車で岡山駅へ。そして、瀬戸大橋を渡り始めた。夕日に照らされて、海がキラキラ、キラキラと光り、その輝きが列車の窓に差し込む。ぽつねん、といる私の心は、夕日の海の輝きの中で、現世と分離していくような気持ちになって行く。寂しいような、当り前のような、静かな気持ちになり、私は、窓際の席で列車とともに揺れていた。ゴトン、ゴトン、・・・ゴトン、ゴトン。私の魂は、地名で言うところの[四国]ではなくて、信仰の国の[お四国]に入り始めている。心が動いて色々な考えが浮かんでくる。今までの事、これからの事、人間の事、自然の事、信仰の事、一人一人に物語があって、常識とか分別だけでは納まらなくなっしまう。みんな、みんな、日本という運転手のもとで、地球星という宇宙船に乗って、ゆられて暮らしてきたんだと思う。そんなふうに考えながら、御真言を唱えて、列車に揺られていると、やがて、だんだんと私の心は広がり、さらに拡大して、
『宇宙は本当に物質なのだろうか?』大きな疑問が出てきてしまったぁ。そう言えば、昔、夜空の星を見ていた時に、星の光の一部はテレポーションしていると思っていたなぁ。今でも、そう感じる時がある・・・。
そうこうしているうちに、高徳線の板東駅に着いた。お遍路が有名な割には、ひなびた駅だ。改札から外に出て見ると、あたりはもう暗くなっている。町はずれの方へ、十五分ぐらい歩いて、田んぼのそばの小さな空き地にテントを張らせてもらった。綺麗なお月さまを見ながら、駅で買った弁当を食べた。ご飯がなぜか異様においしかった。お月さまも一人、私も一人、薄闇の中。南無大師遍照金剛。・・・つづく。