「子育てに失敗して、もう手遅れですよね?」⇒ いいえ | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子育てに関する活動をしていると、時々こんなことを聞かれます。

 

「子どもがもう高校生なんですけど、もう手遅れですよね?」

 

って。

 

 

 

僕は、声を小にして言いたい。

 

(そんなことないよ)

 

って。<声を大にしなさいよ

 

 

 

「もう手遅れですよね?」

 

って聞いてくるということは、

 

「これから先、親の関わりを変えたところで、子どもが変わるわけがない」

 

って思っているのかな?って思うんですけど、全然そんなことないです。

 

 

 

気休めでも、誇張でも何でもなくて、

 

子どもが高校生だろうが、

 

大学生だろうが、

 

社会人だろうが、

 

もうすでに子ども(孫)がいようが、

 

何なら、もう人生の後半戦に差し掛かっていようが、

 

親のコミュニケーションを変えれば、子どもは変わります。

 

 

 

 

 

 

 

僕が結婚した当初、妻のお義母さんは、70代に差し掛かったばかりでした。

 

保守的で、あまり挑戦的なことはしないし、新しいこともしない。

 

外に出かけることも少なかったと思う。

 

否定的な言葉もあったし、責めるような言葉や指示・命令も使ってた。

 

 

 

それでも、とってもいい人だし、優しい人なのよ。

 

今は、「変わったよ」っていうのを強調したいために、あえてそういう部分だけにフォーカスを当てて話しています。

 

 

 

で、僕が家族に参加して、お義母さんに関わるようになったり。

 

妻ともコミュニケーションを取り、お義母さんの印象を色々と聞かせてもらったり。

 

ここがコーチングを学んでて良かったなぁ、って思う部分なんですけど、

 

「相手を変えようとしなくても、相手が変わっていくようなコミュニケーションが取れる」

 

んです。

 

 

 

僕は1mmもお義母さんや、妻を変えるつもりはなくて、ただただ純粋な気持ちで話を聞かせてもらってただけ。

 

そしたら、妻の母親への想いがいっぱい出てきたり、お義母さんの優しさや思いやりがあるところがいっぱい出てきたりするの。

 

僕は、何も変えようとしてるつもりはないからね(笑)

 

元々そういう気持ちがあったから、それを聞かせてもらってるだけ。

 

 

 

そしたら、お義母さんから、否定的な言葉は減ったし、指示や命令も減り、考え方もかなり柔軟になってきた。

 

以前なら、お出かけや遠出に誘っても、

 

「私は、いいです」

 

って断られてたのが、今では誘ったら乗ってきてくれるようにもなった。

 

 

 

個人的な、大きな変化だなと思った一つが、

 

「スマホを持ち始めたこと」

 

かな。

 

 

 

ガラケーすららくらくホンだったのに、それがいきなり、普通のスマホを持ち始めた(笑)

 

保守的だったお義母さんが、かなり柔軟になってきたなぁ、って思う。

 

 

 

 

 

 

70代のお義母さんでも、こうやって変わるんです。

 

それよりもっと若い40代の親なんて、もっと簡単に変われるし、

 

さらに若い20代の子どもや、10代の子どもなんて、もう変わりたい放題でしょ!!笑

 

 

 

それに、

 

「もう手遅れですよね」

 

って思ってるなら、勉強や、学校に行くことだって無意味になってしまう。

 

 

 

だってさ、勉強するのは、

 

「知識を増やして、自信を高めて、色んなスキルを身に付けて、人生を変えるため」

 

でしょう?

 

 

 

「もう手遅れ」なら、そんな変化は起こらない、って言ってるようなもの。

 

ちょっとよく考えてみてもらいたいんだけど、

 

「子どもが大人になる」

 

っていうのは、例えば、子どもが小学生なら、

 

「小学生の現状を保ったまま、大人になっていく」

 

ってことじゃないよね。

 

 

 

小学生から中学生に上がる時には、ずいぶん大きく変化してるよね。

 

中学生から高校生になる時もそう。

 

高校生から大学生になる時もそう。

 

 

 

なんなら、去年と今年の子どもだって、全然違うでしょう??

 

変わってない?

 

めちゃくちゃ変わってない??

 

 

 

例えば、子どもが学校に行っていないとします。

 

もう不登校歴3年だとします。

 

不登校1年目の時と、2年目の時って、全然違うよね??

 

2年目の時と、3年目の時(今)も、全然違うよね?

 

 

 

まさか、

 

「子どもが不登校になってから、1年目の時も、2年目の時も、3年目の時も、全く何も変わっていません!!」

 

なんて言う人は、いないよね??笑

 

 

 

そういう人がいない前提で話すけど、もし、

 

「子どもが不登校になってから、1年目の時も、2年目の時も、3年目の時も、全く何も変わっていません!!」

 

なんていう人がいるとしたら、その人が見てるのは、

 

「子ども」

 

ではなく、

 

「”不登校”という状態」

 

を見てたことになるよね。

 

 

 

つまり、

 

「子どものことを1mmも見ていなかった」

 

ってことを意味するはず。

 

 

 

だいぶヤバいよね(笑)

 

え、ほんとにいないよね?

 

もし、いたらかなりのディスりになりそうなんだけど、大丈夫だよね?

 

「子どもが不登校になってから、1年目の時も、2年目の時も、3年目の時も、全く何も変わっていません!!」

 

なんていう人、いないよね??

 

 

 

 

 

でも、一応、脳の機能的には、

 

「子どもが不登校になってから、1年目の時も、2年目の時も、3年目の時も、全く何も変わっていません!!」

 

って思っちゃう可能性はあります。

 

 

 

僕らの脳みそは、

 

「一度見たものは、二度と見ない」

 

って言われてるんです。

 

 

 

一度見たものに対しては、

 

「あぁ、見た見た」

 

「これ、知ってるわ」

 

って思った瞬間に、もうそれ以上、そのものを見なくなる。

 

 

 

でも、視界には映ってるように見えるじゃん?

 

あれは、実は、脳の機能的には、

 

「過去の映像を再生している」

 

っていう状態になってるの。

 

 

 

90%以上が同じで、変化が小さいものに対しては、

 

「全く見ずに、過去の映像で補完をする」

 

って言うことをし始める。

 

 

 

そうすると、10%とか、20%とか、けっこう変わってても、

 

「前回見た時と何も変わっていません」

 

ってなる。

 

 

 

「何も変わっていません」

 

っていうのは、

 

「過去見た姿」と「目の前にいる子ども」

 

を比較して言ってるんじゃなくて、

 

「過去見た姿(記憶)」と「過去見た姿(記憶)」

 

を比較して言ってるんです。

 

 

 

同じものを見てるんだから、

 

「何も変わっていません」

 

って言うのは、当たり前だよね。

 

 

 

だから、もし、子どもに対して、

 

「この子は、1年前と何も変わっていません」

 

って言うなら、それはすなわち、

 

「私は、目の前の子どもを1mmも見ていなくて、ずっと過去の姿(記憶)を再生しているだけでした」

 

って言ってるに等しいわけよ。

 

 

 

1年は区切りが良いから持ち出してきた数字なんだけど、

 

「この子は、1ヶ月前と何も変わっていません」

 

「この子は、昨日と何も変わっていません」

 

っていうのも同じ。

 

 

 

「何も変わっていません」

 

って思っているなら、もうその時点で、

 

「目の前の子どもを一切見ていない」

 

っていうことです。

 

 

 

言葉も、

 

表情も、

 

考えていることも、

 

感じていることも、

 

行動や仕草も、

 

身体の状態、心の状態も、

 

実は、色んなことが変わっていってるんだけど、

 

「見なくなっていく」

 

こともある。

 

 

 

そうなると、

 

「この子は、以前から何も変わっていません」

 

ってなる。

 

 

 

 

 

 

今、書いてて思ったけど、目の前の子どものことがほとんど見えていなくて、

 

「この子は、以前から何も変わっていません」

 

って思うから、

 

「もう、今さら、手遅れですよね?」

 

みたいな発想が出てくるのか。

 

 

 

「子どもが不登校になってから、1年目の時も、2年目の時も、3年目の時も、全く何も変わっていません!!」

 

なんて言う人いないよね!?って思ってたけど、そう考えると、いる可能性あるな(笑)

 

 

 

ダメージ受けてた人いたら、ごめんね!

 

でも、それは、

 

「今、気付けて良かったね!!」

 

っていうことでもあると思うんよ。

 

 

 

だってさ、

 

「ダメージを受けてた」

 

ってことは、

 

「図星だった」

 

ってことでしょ?

 

 

 

つまり、

 

「子どもが不登校になってから、1年目の時も、2年目の時も、3年目の時も、全く何も変わっていません!!」

 

って思っていたし、それはすなわち、

 

「今、目の前にいる子どもを一切見ていなくて、ずっと過去の姿(記憶)を再生し続けてきた」

 

ってことを意味するわけやんか。

 

 

 

であれば、

 

今、目の前にいる子どもをしっかりと目を見開いて見て、

 

1年前と何が変わったのか?

 

1ヶ月前と何が変わったのか?

 

昨日と何が変わっているか?

 

っていうことを発見するようにしていくと、

 

「子どもってこんなにめまぐるしく変化してるんだ!!」

 

って思えるし、そしたら、

 

「じゃあ、全然手遅れじゃないじゃーーん!!」

 

って思えるわけよ!!

 

 

 

それって、めちゃくちゃ希望じゃない?

 

 

 

「もう手遅れだった」

 

んじゃなくて、

 

「本当は、めちゃくちゃたくさん変化してたのに、ただただ、その変化の兆しを見落としていただけだった

 

ってことが、今、分かったわけやから。

 

 

 

今まで、

 

「子どもが全然変わってなかった」

 

って思ってたのが、

 

「実は、めちゃくちゃ目まぐるしく変化してた」

 

ってことに気付けたわけやから、それだけで、もうこれからの子育ても変わるし、人生変わっていくよね!?

 

 

 

やばっ。

 

ただ「いつからでも手遅れじゃないよ」っていうくらいのことを書こうと思ってたのに、

 

人生変わるようなことを書いてしまった(笑)

 

 

 

 

 

BASEに参加すると、こういう意識の転換は、目まぐるしく起こると思う。

 

むしろ、これまでBASEに参加してくれたお母さんたちや、その親子関係、家庭環境、そして、子ども自身がなんで変わってきたか?っていうと、

 

「親の意識が転換したから」

 

です。

 

 

 

関わり方はたしかに変わってる。

 

でも、それはあくまでも結果論に過ぎなくて、その手前に「意識の転換」があります。

 

 

 

「うちの子、全然変わってないなぁ」

 

って思いながら関わるのと、

 

「うちの子、今日はどんな感じなんかな~?(=どう変化してるかな~?)」

 

って思いながら関わるのとでは、全然、関わり方変わりそうよね。

 

 

 

関わり方は、Youtubeで調べてもらったり、本とか読めば、いくらでも書いてる。

 

でも、この「意識の転換」は気付けばいいだけなんやけど、時には自分で起こすのがすごく難しいこともある。

 

 

 

「本を読んだり、セミナーに参加したり、関わり方を変えたりしてるのに、何も変わらない」

 

って思っている人は、

 

「自分の意識が転換してないから」

 

やね。

 

 

 

 

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