「子どもがこのままずっと勉強をしなかったら、どうしよう」
「子どもがこのままずっとゲーム三昧だったら、どうしよう」
「子どもがこのまま学校に行かなかったら、どうしよう」
なんて悩んでたりしないかな?
僕は、
「今の子どもたちって、何を考えていて、どんな悩みを持っているんだろう?」
って思って、学習塾で働き始めたんだけども。
それで子どもたちの話を聞いていったら、
「思ってた以上に、勉強を嫌いな子どもたち」
がたくさんいてびっくりした。
「勉強がめんどくさいのは分かるけど、、、そんなに嫌いなもの??」
って、けっこうびっくりしたんだよね。
それで、子どもたちに話を聞いていったら、
「勉強嫌いの背景には、親子関係の悪さがありそう」
ってことが分かって、学習塾を辞めて、親にも関われるように、家庭教師兼メンタルコーチとして活動を始めました。
その時の詳しい話はこちら
↓↓
ちょうどこの頃に、「見てる、知ってる、考えてる」の著者でもある中島芭旺くんの家庭教師をやらせてもらってたんだよね。
当時は9歳だったかな。
当時は、
「積極的に、学校に行かない選択をした子どもがいる」
ってことで、かなり話題になっていて、中島芭旺くんを通じて、僕を知ってくれた人もたくさんいたと思う。
話を戻すけど、家庭教師兼メンタルコーチとして活動をして、親の気持ちや考えを色々と聞かせてもらって。
ほんで、
「親は、子どもへの愛情に溢れているし、子どもへの想いがとても強いんだ」
ってことが分かったんです。
親も悪者じゃない。
親は子どもを苦しめようと思って苦しめてるわけじゃない。
子どもには幸せになってほしいと、本気で思っているんだ、って。
じゃあ、なんで、子どもはこんなに勉強嫌いになっていくんだろう?
なんで、子どもはこんなに親に不満を抱えて、親を敵視するんだろう?
その答えの1つが
「親にコミュニケーションを学ぶ機会が無かったから」
でした。
そして、もう1つ、答えがあって、それが
「親自身が孤独感を感じているから」
でした。
これを知った時にはかなり衝撃を受けたんだけど、要するに、
「子どものことで、旦那さんや、両親から理解されない、責められる」
っていう関係性になっている、っていうことです。
例えば、子どもが勉強をしないとしたら、自分は子どもに寄り添って優しくしたいんだけど、旦那さんは厳しく叱りつけながら関わりたい。
そしたら、旦那さんがこう言うわけ。
「子どもが勉強をしないのは、お前(=母親)のしつけがなっていないからだ」
って。
子どもが学校に行かなくなったら、
「子どもが学校に行かないのは、お前が甘やかしすぎるからだ」
って。
一番身近な存在である旦那さんから、子どものことで責められる。
そうすると、もうお母さんは誰にも相談できなくなっちゃう。
旦那さんって、一番理解してもらいたい存在なんだと思うんだけど、そこが叶わないわけだから、とっても辛い気持ち・・・
孤独感を感じたり、自分を責める気持ちを持ったり・・・
さらに、そこに両親や、義両親までもが、母親を責めることもある。
責めるまでいかなくても、
「子どもにはちゃんと勉強をさせているの?」
「ゲームばっかりさせちゃダメよ」
「(仕事してたりして)親が一緒にいてくれないなんて、子どもがかわいそう」
「子どもは学校に行ってるの?学校だけは行かさないとダメよ」
なんて言われたり、聞かれたり。
もうこの関わりだけで、すでにしんどい。
そんなこと言われなくても分かってるし、まるで責められてるように感じられて辛い。
カウンセラーや相談員とかに相談もするんだけど、
「こうしたらいいよ」
ってアドバイスをもらっても、そもそも旦那さんからの関わりや、両親・義両親からの関わりがしんどくて、なかなか実行できなかったりするんよね。
それがまた、
「自分はなんてダメなんだろう・・・」
っていう気持ちに繋がったりして・・・
こういう現状が、
「母親が孤独感を感じている」
っていう課題です。
この課題を何とかしない限り、
「家庭を子どもの安全基地にする」
ってのは難しいと思う。
母親は孤独感を感じているし、父親はなんかトゲトゲしているし、夫婦関係が良くない。
夫婦関係が対立していて、とてもじゃないけど、協力できない。
そして、家庭内には日常的に不穏な空気が漂ってるから、誰も家庭にいても安心できていない。
例えるなら、赤ちゃんに沐浴させる時に、10℃くらいのキンキンの冷たい水で沐浴させたり、逆に50℃くらいの熱湯で沐浴させるようなもの。
どう考えても、子どもは上手く成長していかない。
そんな環境で、
「沐浴のさせ方」
とか、意味無いやん?
「いやいや、そもそも、キンキンの冷たい水での沐浴をやめようぜ!」
ってなるやん?
母親が孤独感を感じている家庭環境では、
「子どもにどう関わるか?」
っていう方法論は、ほとんど意味を成さないんです。
こうして書いてても、当時、
「母親が家庭内で孤独感を感じている」
っていうことを知った衝撃は、今でも覚えてる。
あまりに衝撃的すぎて、僕も何をどう考えて、何て言ったらいいのか分かんなかったんだよね。
色々と考えてみたけど、
「現状、家庭を子どもの安全基地にするのは無理だな」
っていう判断になり。
そもそも、母親も、父親も、安心して過ごせていないのに、そんな状態で家庭を子どもの安全基地になんてできない。
特に、母親が家庭で安心して過ごせることが大事。
でも、
「だから、母親がもっとがんばれ」
は違うやんか。
母親は、もうすでにがんばってる。
これ以上ないぐらいにがんばってる。
むしろ、
「よくがんばってるね、よしよし」
ってしてあげたいぐらいにはがんばってる。
そう考えると、母親が孤独感を感じている場合って、
「家庭を何とかして、変えていく」
っていう方向性は、あんまり良くない打ち手なんだと思う。
そこで考えたのが、
「家庭の”外”に安全基地を作ろう」
っていう発想です。
「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃない」
っていう、あるたいへん身分が高い女性の言葉みたいな発想です(笑)
ちなみに、この言葉、マリー・アントワネットが発した言葉という証拠は見つかっていなくて、ジャン・ジャック・ルソーの「告白」っていう小説に出てくる一説らしい。
しかも、この本が出版された時、マリー・アントワネットは9歳だったそうな。
閑話休題。
「母親にとって、家庭が安全基地でないなら、家庭の”外”に安全基地を作ればいいじゃない」
と思って始めたのが、
「親のためのコミュニケーション講座 BASE」
です。
まずは、母親の心の平穏を取り戻すことが先決だと思ったのね。
母親の気持ちに共感する仲間を作り、一緒に自分の家庭のこと、親子のこと、夫婦のことを考えてくれるような仲間を作ろうと思った。
それが、
「BASEが親の安全基地になろう」
という意味です。
しかも、BASEでは、コミュニケーションを学ぶ講座でもあるから、ただの仲間じゃない。
「共感的に傾聴し合い、勇気づけし合える仲間」
なんだよね。
みんながみんな、基礎的なコーチング技法を身に付けた仲間なの。
だから、傷のなめ合いとか、馴れ合いのコミュニティではなく、
「心が癒され、勇気を取り戻し、未来に希望を持って、一歩前に前進できるコミュニティ」
になってます。
このことは、昨日、対談してくれたBASE5期のゆっこちゃんも話してくれてたね。
昨日の対談のアーカイブ
さらに、コミュニケーションを学ぶということは、
心が癒され、勇気を取り戻し、未来に希望を持つことができていれば、
そのコミュニケーション技法を持って、
「家庭環境を変えていく」
ってことができるようになる。
それは、たとえ価値観が正反対の旦那さんとであっても、
「建設的なコミュニケーションが取れるようになる」
ってことを意味しています。
過去のBASE参加者の中には、両親や義両親との信頼関係を取り戻した人もいます。
さらに、これは家庭環境じゃないんやけど、学校の先生との信頼関係を築けるようになった人もいます。
「コミュニケーションを学ぶ」
っていうのは、身近な人たちとの関係性を変えていくから、子育てどころか、
「人生が変わる」
と言っても過言じゃない。
それくらいインパクトのある学びなんだよね。
BASEで教えているのは、
「アドラー心理学」
「コーチング」
を土台にしているコミュニケーションなので、他ではまずもって学ぶことができない。
「お互いに自立した存在として、協力関係を結んで、現実を変えていくために取るコミュニケーション」
を学んでいきます。
24日には、またまたBASE5期からやけども、かよぱんに来てもらいます。
かよぱんの話を聞いてもらうと、
「コミュニケーションを学ぶと人生が変わる」
の意味がすごく分かると思う。
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24日の20時からを予定しています。
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