AR24:子どもへの愛情の伝え方 | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

ARISEでは、

 

・スタンダードコース

 

・プレミアムコース

 

の2つの参加方法があるんですが、お察しの通り、プレミアムコースの方が上位コースになってます。

 

 

 

プレミアムコースの方が早々にお席が埋まってきてて、お席が

 

「あとわずか」

 

になってきました。

 

 

 

参加するかどうかは焦らず、急がず、じっくりと考えてもらったらいいんだけど、

 

 「ようやく決心したら、もう満席になっていた!」

 

 ってなると悲しいので、一応伝えておきます(笑)

 

 

 

とりあえず、説明会の動画を見てもらいたいので、申し込みページのURLを載せておきますね。

 

本当の自分を生きる講座 ARISE

説明会動画の申込ページ

 

 

 

 

 

 

さて、今日は、ARISE本編で話そうと思っていることを一部書いてみようと思います。

 

参加する/参加しないに関わらず、

 

「子どもには、これからの社会の中でも活躍できるようになっていってほしい」

 

あるいは、

 

「子どもも、自分も、幸せに生きられるようになりたい」

 

って思う方には、ぜひとも読んでもらいたい内容です。

 

 

 

今まで、BASEや他のセミナーでも話したことなかったのが

 

「エネルギーの使い方」

 

です。

 

 

 

僕は、色々と偉そうなことを言ってますが、

 

「人からどう思われるのか」

 

をめちゃくちゃ気にして生きてきてるから、

 

「エネルギーなんて言葉を使ったら、胡散臭いとか思われるんじゃないか」

 

と思って、隠してきた内容です(笑)

 

 

 

でも、ARISEでは、

 

「10年の集大成として、その全てを出していく」

 

って決めているので、胡散臭いと思われようが何だろうが、

 

「良好な親子関係に必要なこと」

 

「子どもも親も幸せになるために必要なこと」

 

「子どもが天才性を発揮し、社会の中で活躍するために必要なこと」

 

であれば、何だって出していこう、という所存です。

 

 

 

「エネルギー」って元々は物理学の言葉なんですけど、

 

「物を動かすための能力」

 

のことを言います。

 

 

 

子どものエネルギーが高まると、子どもの活動量が増え、

 

子どものエネルギーが低くなると、子どもの活動量が減ります。

 

 

 

親がエネルギーの使い方を身に付けることで、

 

「親がいるだけで、子どもがちょっと元気になる」

 

っていうことが起こせるようになります。

 

 

 

子どもが一瞬で別人になるような、そんな魔法みたいな変化は物理法則を無視してるから起こせないんですけどね(笑)

 

でも、少しずつ少しずつ、子どもが元気になっていきます。

 

 

 

エネルギーの使い方が分かってくると、

 

「子どもに何かをしてあげることが愛情というわけではないんだな」

 

ってことが分かってきます。

 

 

 

だってさ、

 

「ただ親がそこにいるだけ」

 

で子どもが元気になっていくんだから、親が特別何かをしてあげなくていい。

 

 

 

いや、むしろ、

 

「親が子どもに何かをしてあげないといけない」

 

と思ってるなら、

 

「親が子どもに何もしてあげなかったら、子どもは元気が無くなる」

 

ってなるじゃない?

 

 

 

それって、すなわち、

 

「子どもは、自分では自分を元気にできない」

 

ってことを意味するよね。

 

 

 

だから、

 

「親が子どもに何かをしてあげないといけない」

 

っていうのは、子どもを弱体化させる発想なんですよ。

 

 

 

AR19でも触れたけど、

 

「親が子どもに何かをしてあげること」

 

って、実は、子どもに愛情が伝わりにくい関わり方なんだよね。

 

AR19:子どもを想うなら、一度はコミュニケーションを学んでおいた方がいい

https://ameblo.jp/sinosakura/entry-12864573823.html

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「親心があるから」

 

です。

 

 

 

「親心」

 

っていうのは、

 

「親であるならば当然子どもに期待すること」

 

です。

 

 

 

親であるならば、

 

「親であるならば、当然、子どもにこういうことを期待するよね」

 

ってことを期待しながら、あれこれと世話を焼いたりします。

 

 

 

でも、それって、どれだけ美しいものであったり、感動的なものであっても、

 

「親の期待」

 

に他なりません。

 

 

 

「子どもには健康で居てほしい」

 

とか、

 

「子どもにご飯を食べさせたい」

 

とかね。

 

 

 

「親だったら、当然、それを願うでしょ」

 

って親同士だと思うから、誰もそこを疑わない。

 

 

 

でも、子どもは

 

「子育てしてほしい」

 

とか、

 

「良い教育を受けさせてほしい」

 

なんて思ってない。

 

 

 

だから、親が「親心」を持ち出せば持ち出すほど、子どもに対する期待が強くなり、親の愛情は、

 

「重たい愛情」

 

へと変換されていきます。

 

 

 

子どもへの期待をすると、なぜ、子どもに愛情が伝わりにくくなるのか?

 

それは、すごく簡単な話です。

 

 

 

例えば、親が

 

「子どもにご飯を食べてほしい」

 

と思って、ご飯を作ったとします。

 

 

 

「子どもにご飯を食べてほしい」

 

なんて誰でも思うでしょ?

 

だから、誰も、親がそう思うことを疑わない。

 

 

 

でも、これが親の期待となってるなら、

 

子どもがご飯を食べる ⇒ ±0(期待通り)

 

子どもがご飯を食べない ⇒ マイナス(期待ハズレ)

 

ってなります。

 

 

 

親が子どもに期待をすることによって、

 

「子どもがどんな行動を取っても、最大で±0にしかならない」

 

んです。

 

 

 

つまり、親が子どもに期待をすることで、

 

「子どものどんな行動も、平均すると親にとっては大体マイナスな行動」

 

になります。

 

 

 

親が期待しているが故に、期待通りでも嬉しくないし、期待ハズレだとガッカリしたり、怒ったりし始める。

 

子どもがご飯を食べないと、

 

「子どもがゲームを優先して、ご飯を食べない」

 

って悩み始めたりする。

 

 

 

そうすると、親のエネルギーが下がるんよね。

 

親のエネルギーが下がれば、どこかからエネルギーを補充しようとするんだけど、その補充先に選ばれるのは大抵、

 

「子ども」

 

です。

 

 

 

親が怒ったり、悲しんだり、ガッカリしたりして、感情を上手く使うことで、

 

「子どもに期待通りの行動をさせる」

 

っていうことをし始める。

 

 

 

この例で言えば、

 

「何とかして、ご飯を食べさせようとする」

 

んです。

 

 

 

そうすることで、親は子どもからエネルギーを奪っちゃう。

 

親にエネルギーを奪われた子どもは、行動力が落ちるから、スマホやゲーム漬けになりやすくなっていく。

 

なるべく省エネでできる行動ばっかり選択するようになっていく。

 

 

 

「親の期待に応えて、疲れてしまう」

 

って言うと分かりやすいかもしれない。

 

 

 

もし、親が子どもに期待してなかったら、子どもがご飯を食べなかったら、

 

「ラップして冷蔵庫入れとくから、自分でチンして食べや」

 

とかでいいんです(笑)

 

 

 

 

 

「親心」があると、親は、日常生活の様々な場面で、子どもに期待をします。

 

教育にお金を出す ⇒ しっかり勉強をしてほしい

 

ご飯を食べた ⇒ お皿を洗ってほしい

 

自分の部屋を与えた ⇒ 掃除や片付けをしてほしい

 

スマホを与えた ⇒ 親が安心する使い方をしてほしい

 

「遊びの解放」をした ⇒ ゲームをコントロールできるようになってほしい

 

近所の人に出会った ⇒ 挨拶をしてほしい

 

とかとかね。

 

 

 

「親だと当たり前に期待するでしょ」

 

っていうのは、日常生活の至るところにあるし、当たり前だと思ってるから、自分でも気付かないし、親同士で話していても、その期待を疑うことはありません。

 

 

 

でも、子どもは

 

「子育てしてほしい」

 

とも思ってないし、

 

「良い教育を受けさせてほしい」

 

とも思ってないんだから、子どもには愛情としては伝わらないんだよね。

 

 

 

もっとストレートな言い方をすれば、

 

「親の愛情という皮を被った親のエゴ」

 

なんです。

 

 

 

もちろん、この話は、

 

「子どもに何もしてはいけない」

 

っていう意味じゃないからね(笑)

 

 

 

そこじゃなくて、

 

「子どもに対する期待は手放そうね」

 

っていうことです。

 

 

 

たとえ、

 

「親であれば、当たり前に抱くでしょ」

 

っていう期待ですら、手放していく。

 

 

 

そうすると、子どもは親の期待に応えようとしなくてよくなるし、親に気を遣わなくてよくなる。

 

その結果、子どもからは親の姿がどう見えるか?っていうと、

 

「親は、どうしてもやりたくて仕方が無いんだな」

 

って見えるようになる。

 

 

 

「親は、どうしてもやりたくて、僕が(私が)脱ぎ散らかした靴下を片付けてるんだな」

 

って思うようになる(笑)

 

 

 

当然、そこには感謝とかないよ。

 

だって、

 

「親がやりたくてやってるんでしょ?」

 

って思ってるわけだから(笑)

 

 

 

でも、これが後々になったら、子どもも、

 

「愛情だったんだな」

 

って分かるようになる。

 

 

 

子どもが親に「見返り」を渡さないようになることで、子どもの中に「愛情」が蓄積されるようになる。

 

「見返り」って、期待に対する対価なんだから、子どもが親の期待に応えれば応えるほど、

 

「親が与えた愛情は、親に返却されてる」

 

んですよ。

 

 

 

だから、「親心」を発揮すると、子どもに愛情は伝わりにくくなる。

 

伝わるけど、親に返却されてるんだから、子どもの中に愛情が蓄積されなくなる。

 

それが、結果的に、

 

「愛情不足」

 

を引き起こしていくわけね。

 

 

 

 

 

 

 

今日の話をさらに突き詰めていくと、

 

「親は、子どもに何かをしてあげる」

 

っていうことと、

 

「親が、子どもに愛情を伝える」

 

っていうことが、

 

「別物だ」

 

っていうことが分かってくる。

 

 

 

子どもに何かをしてあげても、愛情が伝わるとは限らないし、

 

何もしてあげてなくても、子どもは愛情を感じることがある。

 

 

 

具体的な行動は、必ずしも愛情と繋がるわけではない。

 

じゃあ、僕ら親が、子どもに愛情を伝えるにはどうしたらいいの?っていうと、そのヒントが

 

「エネルギーの使い方」

 

にあるわけ。

 

 

 

エネルギーの使い方が分かってくると、

 

「同じ空間にいるだけで、なんだかちょびっと元気になる」

 

っていうことが起こるようになる。

 

 

 

親がいるだけで、子どものエネルギーが上がるようになる。

 

子どもが元気になり、行動を起こすようになる。

 

 

 

ゲームやスマホは使ったりするけど、ゲーム漬けやスマホ漬けみたいな状態にはならない。

 

だって、親との触れ合いの中で、子どものエネルギーが高まり、エネルギーが有り余るようになるからね(笑)

 

 

 

そういうエネルギーの使い方ができるようになった上で、子どもに何かをしてあげると、バチコンと子どもに愛情が伝わったりする。

 

この辺のことを精神論ではなく、具体的な方法として伝えていこうと思っています。

 

 

 

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