こんにちは!
佐伯です。
前回は、
「安全基地になった後、子どもが未来++を目指すには、親の力が絶対に必要だよ」
っていう話をしました。
家庭教育において、現在の主流の考え方は
「子どもの気持ちや意思を尊重しよう」
だと思います。
これって、言い換えると、
「親は引っ込んでおいて、子どもを信じて見守ろう」
っていうことだと思うんですけど、これも悪くない。
悪くないけど、めちゃくちゃもったいない、って思います。
「遊びの解放」をして、家庭を子どもの安全基地にした親がよく言うのが、
「子どもに何も願わない方がいい」
「子どもにどう接していいか分からない」
「子どもには何も言わない方がいい」
みたいなことです。
自分がネガティブな関わりをして、子どもの人生の壁になっているのは分かった。
だから、そのネガティブな関わりをやめて、子どもの人生の壁は退場しました。
でも、やっぱり親として、子どもには関わりたいし、子どもの人生に何かプラスになることをしてあげたい。
それが親心かなと思います。
僕も、それはめちゃくちゃ賛成です。
ただ、そのまま前みたくネガティブな関わりをしてしまうと、また親が子どもの人生に「壁」として立ちはだかってしまう。
親は、子どもに絡みに行くんだけど、ポジティブな関わり方で介入していきたい。
親が子どもにポジティブな関わり方ができれば、親は子どもの人生の「伴走者」として並走できる。
応援したり、協力できる。
親が子どもにポジティブに関わることを
「肯定的介入」
っていう言い方をしています。
一方で、親が子どもの人生の「壁」として立ちはだかるような関わり方のことを
「否定的介入」
って言っています。
「家庭を子どもの安全基地にする」
って言った時に目指しているのは、
「否定的介入を”やめる”」
っていうもの。
安全基地にするには、肯定的介入ができなくても大丈夫。
否定的介入をやめるだけでも、「未来-」から、「現状±0」そして、「未来+」くらいまでは、子どもの力で進んでいけます。
でも、「未来+」から、「未来++」へと進んでいくには、親の力が必要です。
これが前回話したことでしたね。
今日の本題に入る前に、リマインドです。
この新シリーズの後半に
「新講座」
の案内をさせてもらうんですけど、それに関連する日程だけお知らせしときます。
詳細は小出しにしていこうと思っているんですけど、いざ募集を始めた時に、
「めちゃくちゃおもしろそうなのに、日程が全然合わない~!!」
なんてことになったら悲しいので、早めにお伝えしておきます。
まず、講座の日程が
☆DAY1:2024年9月15日(日)10:00~15:00
☆DAY2:2024年10月13日(日)10:00~15:00
☆DAY3:2024年11月17日(日)10:00~15:00
☆DAY4:2024年12月22日(日)10:00~15:00
☆DAY5:2025年1月19日(日)10:00~15:00
☆DAY6:2025年2月16日(日)10:00~15:00
です。
そして、この新講座には、誰でも無料で参加できる、
「新講座の予習セミナー」
を予定しています。
こちらの日程も先に出しておきますね。
☆DAY1(未来+):8月20日(火)20:00~22:00
☆DAY2(未来++):8月22日(木)20:00~22:00
☆DAY3(未来+++):8月24日(土)20:00~22:00
です。
新講座の予習セミナーはZOOMでやる予定なのですが、都合がつかない人もいるでしょうから、Youtube Liveでも配信して、そのアーカイブも残します。
新講座の予習セミナーの募集は、
☆*★*☆*★*☆*★*☆
8月17日(土)
☆*★*☆*★*☆*★*☆
に開始します。
とりあえず、日程だけ。
またちょくちょくリマインドさせてもらいますね。
昨日、とあるお母さんから、
「この新シリーズの内容は、今の私ならすごく分かるけど、以前の私だったらピンとこなかった」
って言われたんですね。
自己受容ができて、子どもたちのことを信頼できるようになった今なら分かるけど、
自己受容ができていなくて、子どもたちをコントロールしようとしていた時に聞いても、きっとピンとこなかっただろう、と。
そう、それがまさに僕が今まで、こういった話を書いてこなかった理由なんです。
自己受容ができている前提の話をしているから、自己受容ができていない人は、おそらくこの新シリーズの話は、ピンと来ないか、難しいと感じるんじゃないかなと思います。
誰もピンと来ない話を書いても仕方が無いから、今まで書いてこなかった。
でも、BASEも10期を数え、メルマガで発信してきて10年・・・
今なら、この新シリーズの内容にピンと来たり、
「おもしろい!」
って感じてくれる親も増えてきたんじゃないかなと思います。
そういう親に対しては、
「お待たせしました!」
っていう気持ちです(笑)
じゃあ、まだ自己受容ができていなかったり、家庭が子どもの安全基地になっていない親が、新シリーズの話を聞くのは意味が無いのか?っていうと、そんなこともありません。
コーチングの格言に、
「日本一を目指していると日本一になれない。
世界一を目指していると世界一になれない」
というものがあります。
「日本一を目指している人」
っていうのは、
「まだ日本一になっていない人」
ですよね。
日本一を目指すということは、
「私は、まだ日本一ではありません」
って言い聞かせているのと同じなんです。
日本一を目指し続けるということは、目指している間中ずっと、
「私は、まだ日本一ではありません」
って言い聞かせ続けているようなもの。
「私は、まだ日本一ではありません」
って言い続けてる間は、限りなく日本一に近づくことはできるんだけど、日本一になる確率はとても低いです。
「じゃあ、どうやったら日本一になれるのか?」
っていうと、
「日本一が当たり前になり、通過点になった時」
です。
言い換えれば、
「世界一を目指し始めた時」
です。
世界一になる人は、日本一は通過点ですよね。
日本一であることは当たり前です。
世界一になる人は、世界一を目指してるんじゃなくて、世界一になれると確信している。
もはや、自分はすでに世界一なんだ、って思い込んでる。
だからこそ、世界一の座に立つことができる。
自己受容や安全基地も、
「目指す」
んじゃなくて、
「通過点」
にするんです。
つまり、今、新シリーズで話しているようなことを
「自分もいずれはやるんだな」
って想定しておく、ってこと。
そのための下準備として、
「自己受容」
「安全基地」
があります。
そうすると、何が起こるかと言えば、
「すでに、自己受容が始まっている」
「すでに、安全基地になり始めめている」
ってことに気付きます。
進捗で言えば、まだ全然5%くらいかもしれないけど、
「まだ全然自己受容ができていない(0%)」
だったのが、
「いずれは未来++を目指すようになるんだな」
って思うだけで、
「あれ、少しは自己受容できているところあるのかも(5%)」
になったりするんです。
実際に、自己受容の進捗が進んだわけじゃない。
「目指す」から、「通過点(=さらに先を目指す)」に変えただけだからね。
追加で、何かをしたわけじゃない。
それなのに、自己受容の進捗が進むんです。
こうして進んだ分を
「夢のかけら」
っていう呼び方をしています。
追加で、何かをしたわけじゃないのに、自己受容の進捗が進む・・・
これはどういうことかというと、実は、すでに5%は自己受容できていたのに、
「自分はまだ自己受容できていない」
って思ってたから、すでにある5%が見えていなかったんです。
気付いててノーカウントにしてたんじゃなくて、本当に見えていなかった。
視界には入っていたのに、見えていなかった。
目の前にあったのに、見えていなかった・・・
僕らには、
「目の前にあるのに、見えていない」
っていうものがめちゃくちゃたくさんあります。
だから、できているところあるのに、
「何1つできていない」
って思ったりします。
良いところもあるのに、
「ダメな夫」
っていう感じで、その旦那さんの全てにレッテルを貼ったりするんです。
僕が「発達障害っていうレッテルを安易に貼らない方がいい」って思っているのも、
「自分で子どものできてるところを覆い隠すことになるから」
です。
「病気にはなっても、病人にはなるな」
っていう言葉があるんですけど、
「風邪ひいた」
っていうと、一時的に体調を崩して、いずれ治るんですけど、
「私は、風邪だ」
って思うようになると、体調を崩して、薬を飲んだりするんだけど、なかなか治らなくて、長引いたり、治ってもまたすぐに風邪をひいたりします。
「風邪ひいた」
だと、風邪の症状以外の健康的な部分が視界に入ってるから、その健康的な部分を使って、病気を治していきます。
でも、
「私は、風邪だ」
って思うと、もう自分の全てが風邪になる。
健康的な部分があるのに、見えなくなる。
だから、風邪を治そうにも、健康的な部分が無いから、なかなか治らなくなる。
むしろ、
「風邪の状態でいる方が、自分には相応しい」
って思うようになる。
そうやって、どんどん健康的な部分を見えなくしてる。
「見えているんだけど、見ないようにしている」
のではなく、
「ガチで見えていない」
んです。
しまいには、
「私は、病人なんだから、もっと優しくして」
というように、自分の病気を使って、コミュニケーションを取ろうとするようになる。
そうなると、
「病気でいることの利権」
を握るようになるから、なかなか病気を手放せなくなってくるんだな。
学校に行かない理由に、体調不良を使う子どもも、
「体調が悪いことの利権」
を行使して、学校に行かないで済むようにしています。
病人になって、病気の利権を振りかざすようになると、本人が病人であろうとするから、なかなか病人状態から復帰しにくくなる。
「目の前にあるのに見えない」
っていう現象について、マイナス方向の話をしたけど、プラス方向にも使えます。
「未来+」の世界にいる人には、「未来++」の世界で起こっていることは見えません。
「目の前にあるのに、見えていない」
っていうことです。
「未来++」の世界で起こっていることが見えるのは、「未来++」の世界にいる人だけです。
例えば、難しそうなことといとも簡単にやってのける人っていますよね。
自分とその人では見えている世界が違うんです。
でも、その人が特別だから見えているとか、自分は凡人だから見えていないとかって話ではありません。
その人は、
「できる」
って思っているから、「できる世界」で起こっていることが見えている。
自分は、
「できない」
って思っているから、「できる世界」で起こっていることが見えていない。
言ってしまえば、それだけの話なんです。
つまり、
「自分にもできるはずだ」
って思えば、自分にも上手くいく方法が見えるようになります。
「なるほど!ここをこうすれば、上手くいきそうだ!」
っていうことに気付けるようになります。
僕がメンタルコーチとして駆け出しだった頃の話です。
メンタルコーチは、コーチングの契約を取るために、ブログやSNSで発信をして、会う人会う人に営業をかけるのが普通でした。
でも、当時の僕は、営業活動が大の苦手で、本当にやりたくなかった。
それで、
「もういいや、営業のことなんて忘れて、自分のやりたいことをやろう」
って決めて、カフェーにこもり、持ち込んだノートPCでゲームをしたり、SNSでは自分の話したいことばっかり発信していました。
そしたら、なぜか、友人知人から、
「佐伯さんに紹介したい人がいるんだけど」
って言われて、その人に会ってみたら、あれよあれよという間に、コーチングの契約に繋がったではありませんか!
発信や営業をがんばっていた時には、全然コーチングの契約が決まらなかったのに、やりたくないことをがんばるのをやめたら、なぜかコーチングの契約が決まった。
当時の僕には意味が分からなかったんだけど、本当にそういうことが起こったんです。
これがいわゆる、
「引き寄せの法則」
ってやつです。
「発信や営業をがんばらないと契約なんて取れない」
って思っていたから、
「がんばらずに楽しくやって契約を取る道」
が見えていなかったんです。
僕は、ゲームやって、書きたいことを書いて、会いたい人に会って、話したい話を話していただけ・・・
もうほんと、それだけ。
その時のことが原点になって、今にも繋がっています。
それはまたの機会に詳しく話しますけど、
「今の自分の意識状態だと見えていないことがある」
っていうことです。
僕は、
「発信や営業をがんばって契約を取る道」
それしかないと思ってたけど、
「発信や営業をがんばらなくても契約が取れる道」
も実はあったんです。
他にも色んな道があります。
目的地に到達する道って、必ず複数存在します。
ただ、その複数が見えるようになるには、
「自分の意識状態」
を変えないといけません。
「子どもには学校に行ってほしい」
って思っている人には、
「子どもが幸せに生きている世界」
は見えません。
「子どもには幸せに生きてほしい」
って思っている人には、
「学校に行って幸せになる道」
「学校に行かずに幸せになる道」
が見えます。
「幸せな子どもが、周りの人たちも幸せにすることで、さらに幸せになりそう」
って思っている人は、
「もし、子どもが今の自分に満足せず、必要があれば学校に行くだろうな」
っていうことも見えてくる。
ただ、それが公立校だけじゃなく、私立だけでもなく、日本の学校とも限りません。
色んな選択肢があるんですけど、目指しているラインが低いと、ほとんどの選択肢が見えなくなり、
「この道を選択しないと幸せになれなーい!」
とか思い始めちゃう。
本当は、もっともっと色んな道があるのに。
幸せに生きる道なんて、いくらでもある。
そうした道が見えるようになるには、
「未来+」か「未来++」へと意識状態を変えたいんですね。
ほんでさ、親が「未来++」の世界で生きていたら、
「子どもがどうやったら幸せになるか?」
って考えた時に、
「美味しいものを食べても幸せ」
「学校に行っても幸せ」
「家でゲームしてても幸せ」
「ゲーム以外の遊びでも幸せ」
「勉強をしてても楽しい」
「親しい友達と遊んで幸せ」
「失敗しても幸せ」
・・・
などなど、ありとあらゆる選択肢の先に、幸せになる道があることが見えてくる。
親がそんなんだと、子どもはどうやったって幸せになっていくでしょ(笑)
これが、
「子どもの人生の『壁』となる親」
と、
「子どもの人生の『伴走者』となる親」
の違いです。
能力とか知識とか経験とか、なんも関係ない。
ただただ「親の意識状態」によります。
親の意識状態によって、
「親に何が見えていて、何が見えていないのか」
が決まります。
P.S.
昨日、ずっと温めていたゲーム、
「天穂のサクナヒメ」
を全面クリアしました。
買ったのはもう4年ほど前なんですけど、田植えしながら、洞窟探索をするゲームです。
とても斬新な設定なんですけど、思ってた以上におもしろくて、仕事そっちのけで、夜更かししてまで遊んでました(笑)
地道にコツコツ系の要素もあれば、骨のあるアクションゲームで、それなりに難しい。
ストーリーも良いし、主人公の声優さんが大好きだし、絵柄も可愛い。
もし、遊ぶゲームが無くなって暇してる人は遊んでみるのおすすめです!
P.S.2
そういえば、明日はYoutube Liveです!
というか、今月は毎週Youtube Liveを開催していきます!
今度のテーマは、
「安全基地になった後は、未来++を目指す」
です!
Youtube Liveはこちら
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