なんで、「不登校は問題じゃない」って言えるのか? | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

 

不登校の何が問題なのか?っていうと、

 

「親が過去に選択した道と違うから」

 

っていうことに尽きると思うんよね。

 

 

 

例えば、

 

「学校に行ってないと子どもは将来、食べていけない」

 

 って思ってるとするやんか。

 

 

 

「だから、子どもが学校に行かないと心配なんだ」

 

って。

 

 

 

 

 

 

 

ここにも書いたけど、こういう「1つの選択肢以外を認められない」っていう考え方を「親の呪い」って言ってるんよね。

 

 

 

「子どもが学校に行ってないこと」

 

と、

 

「子どもが未来永劫、仕事をしないこと」

 

は両立するとは限らないし、

 

「子どもがまともな生活ができないこと」

 

も両立するとは限らない。

 

 

 

もっと言えば、

 

「学校に行ってたのに、仕事をしてない大人」

(障害とか特別な事情が無くてもね)

(今の時代、何らかの障害があっても働く機会は増えてきてる)

 

もいるし、

 

「学校に行ってたのに、まともな生活ができていない大人」

 

もいる。

 

 

 

なので、

 

「学校に行ってたこと」

 

と、

 

「仕事をするかどうか」

 

「最低限度の文化的な生活ができるかどうか」

 

っていうのは、関係は無くはないけど、因果関係にはならない。

 

 

 

しかも、もし、子どもが将来、

 

「学校に行ってたのに、仕事をしない」

 

ってなったとするやんか。

 

 

 

親からしたら、

 

「学校に行ってたら、問題なく仕事をするもんだ」

 

って思ってるわけでしょ?

 

 

 

「学校に行ってたのに、仕事をしない」

 

ってなったら、

 

「子どもは仕事ができるのに、仕事をしない。怠慢だ!」

 

みたいな論理になるよね。

 

 

 

でも、仕事をしない理由は、他にもあるやん?

 

「何もやりたいことが見つからない」

 

とか、

 

「人間関係に不安を抱えている」

 

とか、

 

「まともに仕事ができる自信がない」

 

とか。

 

 

 

もちろん、ただの怠慢だということもある(笑)

 

でも、

 

「学校に行ってたのに仕事をしないのは怠慢だ」

 

みたいに思うのは早計だし、怠慢だと決めつけるのは、子どもの話(本音)を最後まで聴いてからでしょう。

 

 

 

ちなみに、子どもの話を聴く時には、子ども自身も、自分のことを怠慢だと思っていて、自分が感じている不安や恐怖を無視したり、蓋をして無かったことにしてることもある。

 

本当は、不安や恐怖があるのに、なかったことにしてるから、

 

「自分は怠慢で、ダメな人間なんだ」

 

って継続的に自分責めをしていることもあり得る。

 

 

 

話を聴く時には、子どもを無条件で受け容れることで、そういう自分責めをさせないようにしていきたい。

 

そして、子ども自身に、

 

「実は不安なんだ」

 

「実は怖いんだ」

 

みたいな本音を話してもらえるようにして、その感情に寄り添っていけるようになりたいね。

 

 

 

「怠慢なように見えて、不安や恐怖を隠しているだけ」

 

っていうこともあるから、怠慢だと決めつけるのは早計な場合がある。

 

 

 

 

 

子どもが将来、仕事をしないのは、

 

「学校に行ってたのに怠慢だから」

 

ではなく、

 

「仕事をすることに心理的課題がある」

 

っていうこともあるわけよ。

 

 

 

「子どもが学校に行っていたかどうか」

 

は、

 

「子どもが将来、仕事をするかどうか」

 

の1つの要因に過ぎない。

 

 

 

子どもが将来、仕事をしない要因を潰すつもりで、

 

「子どもに学校に行ってほしい」

 

「子どもに学校さえ行ってくれれば」

 

って思うのは、あんまり意味がない思考かなー、って思う。

 

 

 

それって、料理がまずくなった時に、毎回、

 

「加熱時間が長すぎたせいだ」

 

って思うようなもの。

 

 

 

煮物の味が薄いのも、加熱しすぎ。

 

卵焼きが焦げたのも、加熱しすぎ。

 

冷凍してたお肉がまだ固いのも、加熱しすぎ。

 

チャーハンがべちゃべちゃになってるのも、加熱しすぎ。

 

そんなわけないやん?笑

 

 

 

「学校にさえ行ってくれれば、安心できるのに」

 

って思うのは、将来、子どもが直面する課題は、学校にさえ行っていれば、全て解決するかのような思考よね。

 

 

 

学校に行かない理由を探し始めると、その理由だっていっぱいある。

 

たしかに、原因はあるかもしれない。

 

 

 

子どもが将来仕事をしないのも、理由はいっぱいある。

 

その理由の1つに、

 

「学校に行っていなかったから」

 

っていうのはあるかもしれない。

 

 

 

「原因を取り除けば、求める結果が得られるはずだ」

 

っていう考え方を、

 

「原因論」

 

って言います。

 

 

 

原因論は、人間心理に当てはめると上手くいかないことが多いです。

 

なんでかっていうと、今日の話に即して言えば、

 

「子どもが学校に行かない原因は1つじゃないから」

 

「子どもが仕事をしない原因は1つじゃないから」

 

だし、もっと言えば、

 

「子どもが学校に行かないことに何の問題もない」

 

「子どもが仕事をしないことには何の問題もない」

 

のよ。

 

 

 

問題じゃないことに、原因なんてないでしょ?

 

学校に行かない理由はあるかもしれない。

 

それはあくまでも「理由」であって、問題を作り出している「原因」じゃない。

 

問題を作り出している原因であるなら、排除したら学校に行くようになるかもしれない。

 

 

 

ただ、それは

 

「子どもが学校に行かないことが問題だ」

 

っていう考え方を前提にした発想です。

 

 

 

でも、子どもが学校に行かないことは問題じゃないんよ。

 

問題じゃないと言えるのは、子どもが将来直面するであろう困難が、

 

「学校に行ってないから」

 

っていう理由であることはほとんどない。

 

 

 

なんなら、親が心配をしている未来マイナスは、

 

「学校に行ってても起こること」

 

だったりするんよ。

 

 

 

仕事をしないとか、

 

稼ぎが少ないとか、

 

引きこもるとか、

 

親のすねをかじり続けるとか。

 

 

 

親が心配しているようなことが起こる理由は

 

「学校に行ってないから」

 

じゃないことがほとんど。

 

 

 

だから、

 

「子どもが学校に行ってないこと」

 

を問題にしても、親が心配していることは起こることもあるし、起こらないこともある。

 

あんまり関係ない。

 

 

 

なので、本来は、

 

「子どもが学校に行かないこと」

 

はそんなに問題じゃないんよ。

 

 

 

 

 

でも、なんで問題にしちゃうのか?っていうと、

 

「親が『学校に行く』以外の道を認められていないから」

 

です。

 

 

 

自分が体験したことない道は、本能的には怖さを感じる。

 

ただ、僕らは人間やん?

 

動物的な本能だけじゃなく、理性的な思考や判断をすることができるわけよ。

 

 

 

やから、

 

「学校に行かないことが本当に問題なのかな?」

 

「学校に行かないことで、本当に心配しているようなことが起こるのかな?」

 

っていうことは考えられるはずなんよね。

 

 

 

そうやって考えていくと、割とすぐに、

 

「学校に行ってなくても、仕事をしたり、普通に食っていける」

 

ってことや、

 

「学校に行ってても、仕事をしなかったり、食っていけない人はいる」

 

ってことも分かる。

 

 

 

この2つが分かれば、

 

「将来、子どもが仕事をしたり、食っていけるかどうかに、学校に行ってたかどうかは関係ない」

 

っていうことにも気付けるよね。

 

 

 

だとしたら、

 

「じゃあ、子どもが仕事をしようと思ったり、食っていけるようになるには、本当は何が必要なんだ?」

 

っていう発想にもなるじゃない。

 

 

 

学校に行ってなくてできないのは、

 

「学歴が必要なこと」

 

くらいよ。

 

 

 

「学歴が無いと仕事ができない」

 

って思っているとしたら、それはさすがに時代錯誤がは甚だしいよね(笑)

 

「あれ?あなたの時間は、平成前期から止まってるんですか?」

 

って話になってくる。

 

 

 

今も、学歴が必要な仕事はあるけど、学歴が必要じゃない仕事も増えてきた。

 

学歴が無くてもできる仕事はたくさんある。

 

 

 

であれば、僕らが考えないといけないのは、

 

「何のために、学校に行くのか?」

 

っていうことよ。

 

 

 

 

 

 

 

20年くらい前は、まだまだ学歴が重視はされてたと思う。

 

学歴が重視されていたのであれば、

 

「将来、仕事をするために学校に行こう」

 

も理解はできる。

 

 

 

僕が就活してた時期(15年くらい前)は、企業が重視していた資質は、学歴や学力よりも、

 

「コミュニケーション力」

 

「集中力」

 

などの内面的な要素でした。

 

 

 

ちょうどその時期あたりに、

 

「高学歴なのに仕事ができない」

 

「高学歴なのにコミュニケーションが取れない」

 

っていう社員が話題になってた。

 

 

 

「高偏差値の大学に入ること」

 

がゴールになってたんだろうな~、って思う。

 

 

 

本来、親は、子どもよりも広い視野で物事を考えていたいんよね。

 

人生経験あるわけやし、子どもよりも長いこと勉強してきてるわけやん?

 

 

 

子どもが学歴や学力に囚われていたら、

 

「ほんまに、学歴や学力が最重要なんか?」

 

って問いかけを投げたいんよ。

 

 

 

ほんで、子どもの視野を広げて、

 

「子どもの人生にとって、本当に大事なものは何か?」

 

っていうことを考える手助けをしていきたいんよね。

 

 

 

親が、

 

「学校に行っていないことは問題だ・・・」

 

って思ってしまうと、親こそが学歴や学力に囚われてるわけやんか。

 

 

 

そしたら、子どもは親以上に学歴や学力に囚われてしまう。

 

能力が高くて勉強をできる子どもは、

 

「高学歴にさえなれば、人生安泰だ!」

 

って思うかもしれないし、勉強ができない子どもは、

 

「自分はなんてダメなんだろう・・・」

 

って思うかもしれない。

 

 

 

 

 

この記事は、

 

「不登校は問題じゃないよ」

 

みたいな話をしてるんやけど、僕の個人的な感覚で言えば、

 

「親が、不登校を問題にしちゃいけないよ」

 

ってくらいには思ってる。

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「親の視野が狭いことで、子どもの視野はもっと狭くなるから」

 

です。

 

 

 

「不登校を問題にする」

 

っていうことは、

 

「不登校問題が解決すれば、今以上に良くなる」

 

みたいに思ってる、ってことよね。

 

 

 

もっと言えば、

 

「子どもの人生は、学校に行っていたかどうかで決まる」

 

くらいには思ってる、っていうこと。

 

 

 

子どもの人生 = 学校

 

ってことよ。

 

 

 

こうやって、言語化して、簡単な関係式に表してみると、いかにおかしな発想をしてるかが分かるでしょ?

 

子どもの人生 = 学校

 

くらいに思ってるから、不登校で悩むし、何とかして学校に行かせようとするわけよ。

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「子どものことも、子どもの人生が大切やから」

 

よね。

 

 

 

子どものことを大切に思ったり、

 

子どもの人生を大切に思うのは、当たり前の話。

 

 

 

子どもや、子どもの人生を

 

「学校にさえ行っていれば、将来は安心だ」

 

「学校に行ってないから、将来が心配だ」

 

って思っているんだとしたら、それはすなわち、親が、

 

「子どもの人生は、学校に行っているかどうかで決まる」

 

って思っているということ。

 

 

 

親が、

 

「学校にさえ行ってくれれば、子どもの将来は安心」

 

って思ってるならば、

 

「東大や京大を出たのに、ニートだったり、引きこもりになっていたり、ずっとゲームばっかりしてる」

 

っていう人たちがいることが説明できひんやんか。

 

 

 

ニートや引きこもりになったり、ずっとゲームばっかりしてるのが心配だったり、不安なわけやん?

 

だとしたら、なんで、東大や京大という日本が誇る最高学府に行ったのに、ニートや引きこもりになってるの?っていう矛盾が起こってるやんか。

 

 

 

子どもが大人になった時に、

 

「子どもが仕事をするかどうか」

 

っていうのが、

 

「学校に行っているかどうかだけで決まるわけじゃない」

 

っていう何よりの証拠よね。

 

 

 

そう考えていくと、僕ら親がやるべきことは、

 

「子どもを何とかして学校に行かせること」

 

でもないし、

 

「子どもに何とかして勉強をさせること」

 

でもない、ってなるよね。

 

 

 

それはすなわち、

 

「不登校は問題じゃない」

 

ってことだし、少なくとも、親が解決するべきことじゃない。

 

 

 

 

 

じゃあ、親は何をするべきなのか?っていうと、家庭を、

 

「どんな自分であっても(それこそ、不登校かどうかに関係なく)、ここに居てもいいんだ」


って思えるような環境にすることです。

 

 

 

こういう環境のことを僕は、

 

「安全基地」

 

って呼んでいます。

 

 

 

学校は、子ども自身に

 

「学校に行く目的」

 

ができたら行くようになります。

 

 

 

逆に言えば、子どもに「学校に行く目的」が無いなら、学校には行きません。

 

「何らかの原因があって、学校に行かないんだ」

 

って考える人もおるかもしれんけど、実際はそうじゃない。

 

原因を取り除いても、すぐにまた別の原因を作り出します。

 

 

 

でも、いくつも原因があっても、

 

「よし、学校に行こう!」

 

って子どもが決めれば、状況は何も変わっていないのに、学校に行こうとし始めます。

 

 

 

学校に行くことに障害があっても、

 

「学校に行く目的」

 

があれば、それらの障害を乗り越えてでも学校に行こうとします。

 

 

 

あとは、親として、学校に行こうとする子どもを応援するだけでいいよね。

 

親がやることはさ、、

 

「学校に行かない子どもを何とか行かせようとすること」

 

じゃなくて、

 

「学校に行こうとする子どもを何とか応援すること」

 

です。

 

 

 

 

不登校に関しては、他にも色んなことを書いているので、良かったら読んでみて!

 

不登校は親のせい?

ゲームを制限しても、子どもは勉強をするようにならない

不登校は解決するものじゃない

4月から学校に行くかどうかを子どもに聞きたい!

子どもの居場所

子どもが不登校でも、親はご機嫌でいてもいい

学校に行きたくても行けない子どもにどう関わる?

子どもが学校に行かない理由8個

不登校は問題じゃない ~学校は子どもの未来を決めない~

不登校は問題ではない(動画)

子どもが責任を全うできる人間に育つために親ができるたった一つのこと

 

 

 

 

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