とにかく自分を責めるのをやめる | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく


まず、僕らは精神的に自由な存在なので、


「自分を責めるのも責めないのも自由」


なんだよね。




そこがまず基本。




で、自分を責めていると人生がハードモードになる。




なんで人生がハードモードになるのか、っていうと、自分を責めていると、


「罪悪感」


を感じるんだけど、この罪悪感がおもしろい感情でね。




罪悪感は、自分を責める材料があれば、


「自分ってなんてダメなんだろう」


「自分がいるからあの人に迷惑をかける」


「なんでいつも上手くできないんだろう」


みたいに自分を責める材料を使って自分を責めるのね。




じゃあ、自分を責める材料が無かったらどうするのか?と言えば、


「自分を責める材料を作り出す」


のよ。




おもしろくない?


例えば、子どもを叩いて、それで自分を責める体験をした親は少なくないと思うんだけど、あれって、


子どもを叩いた → 悪いことをしたと思うから自分を責める


だと思いきや、違うんだよ。




そう思うんなら、子どもに謝って、もう二度としなければいいじゃない?


でも、また子どもを叩いて、謝る。




「子どもを叩いて謝る」


っていうのを何度も繰り返す親には学習能力ってものが無いのか?とも思ったりもした。


謝ってるんだったら、2回目するなよ、って話になるじゃん。




それでも、何度も繰り返しやっちゃう。


ここで、


「子どもを叩くことはダメだ」


とは考えない。




「なんで、何度も謝っては子どもを叩くんだろう?」


って考える。




この答えは、


「最終的に、親がどうなっているか」


にあるのよね。




子どもを叩く

子ども泣く

親が謝る

子ども泣き止む

親が自分を責める

2人とも落ち着く

子どもを叩く

(以下繰り返し)


っていう感じで繰り返しているなら、親の最後の状態は、


「自分を責める」


です。




ということは、


「何度も謝ってるのに子どもを叩いてしまう親」


は、


「自分を責めるために叩いている」


っていうことになる。




何もしてなかったら、自分を責める理由は無い。


だから、子どもを叩くことで、


「自分を責める理由を作り出している」


のよね。




これが罪悪感っていう感情のおもしろいところ。


自分を責める材料がすでにあるなら、それを使って自分を責める。


自分を責める材料が無いなら、子どもを叩いてでも自分を責める材料を作り出して、自分を責める。




この2つをまとめると、罪悪感って、


「自分を責めなければいけないという強迫観念」


っていうことになる。




自分に課せられた、かなり強めの義務感です。


何度もやってしまって、そのたびに自分を責めていることに関しては、


「罪悪感」


という名の強迫観念があります。




自分を責めたくて責めたくて仕方がないから、子どもを叩くのをやめられない。


タバコやギャンブルの中毒と同じやね。




子どもを叩くのをやめられないから、子どもを叩く。


子どもは、親から叩かれるから、ひねくれていったり、親に復讐するために様々な問題を起こすようになる。


子どもが色んな問題を起こすから、親は子どもが起こした問題について悩むようになる。




子どもの問題だけじゃなく、


「私はなんてダメなんだろう」


って思いたいんだから、


仕事


結婚


友人関係


家庭環境


などの様々なところで問題が起こる。




これが、


「人生ハードモード」


って言ってるやつです。




自分を責めるのをやめて、自分が素晴らしくて素晴らしくて仕方がないことを認めてしまえば、問題は起こらなくなる。


同じことが起こっても、問題だと思わなくなる。




「たまたまハードな人生に生まれた」


というよりも、


「自分からハードな人生を選んでる」


って感じ。




ハードな人生って、障害があったりするのもハードに思えるかもしれない。


でも、おそらく、


「障害があること」


よりも、


「自分を責めていること」


の方が人生はハードになる気がする。




例えば、最近よく見てるYoutubeチャンネルで、


「デフサポチャンネル」


っていうのがあるの。




このチャンネルを運営しているユカコさんは、難聴でほぼ何も聞こえない。


聾唖者(ろうあしゃ)ってやつやね。


健常者にはとても耐えられない爆音のイヤホンを耳に入れても何も聞こえないんだそうな。




ユカコさんは、たしかに聴覚に障害があるんだけど、めちゃくちゃ幸せそうに生きてる。


なんで幸せそうなのかなー?って思ってたら、母親や義母に対するインタビューでその理由も少し分かる気がする。


気がするだけかもしれんけどw




障害者と健常者の結婚!?娘が聞こえる彼氏と結婚すると知ったの母の本音は…?※字幕付き※デフサポちゃんねる我が母が、聴こえない娘が、聞こえる夫と結婚する時にどうおもったか?という本音を赤裸々に語ってもらいました!=======デフサポちゃんねる…登録しちゃう?♡http://www.youtube.com/channel/UChitc-o2VfWz5cgT-rMRIjQ?sub_confirmation=1▼なんで喋...リンクyoutu.be


聴覚障害の彼女と健聴の息子の結婚、どう思ったか義母に聞いてみた!難聴者の夫婦ちゃんねる【フル字幕付き】デフサポちゃんねる義母に息子が「聞こえない子と付き合ってる」と聞いてどう思ったか聞いてみました!まあ実際こんな感じでした!😂=======よかったらぜひちゃんねる登録してください♪http://www.youtube.com/channel/UChitc-o2VfWz5cgT-rMRIjQ?sub_confirmation=1▼...リンクyoutu.be





障害があるのは、生活に不便があるのは間違いない。


でも、障害があることと、幸せに生きることが必ずしも関係があると言えないんだな、って思う。




障害があっても幸せな人もいるし、不幸な人もいる。


障害がなくても幸せな人もいるし、不幸な人もいる。




障害の有無よりも、そのことで自分を責めていたり、拗ねてたりするから、人生がハードモードになっていく。


自分を責めるのをやめると、人生は今よりずっとイージーモードになる。




そうだとして、自分を責めてもいいし、責めなくてもいいとしたら、どっちを選ぶ?って話やね。




 

 

 

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