心配っていうのは、子どもに、
「否定的関心」
を向けている時であり、
「子どもを(親にとっての)正しい方向に導こうとする気持ち」
です。
子どもが
親と違うこと
親が間違っていると思っていること
親が受け入れられていないこと
親の価値観に合わないこと
親の想像や理解を超えたこと
親が経験したことないこと
をしているから、
「そっちじゃないよ」
って思うわけ。
「そっちに行っちゃうと、私の(俺の)気持ちが耐えられない」
って言ってるわけ。
心配って。
例えば、小1の子どもが自転車で隣町まで行こうとするじゃん。
親は、子どもが1人で遠くに行くのは心配じゃん。
だから、
「行っちゃダメよ」
ってやりがちなんだけど、心配するくらいなら付いていったらいいと思うのよ。
「あなたはまだ隣町まで行ったことないから、付いて行かせてくれないか?」
ってお願いする。
断られたら、スマホでも持たせてあげたらいい。
んで、迷ったりしたら連絡を取れるようにしておく。
テレビを見ていると痛々しい事件とかの報道がされてるけど、実際はほとんど起こらない。
大抵の人は、迷子になった子どもを見つけたら、交番に連れていってくれたり、その子が無事に家に帰れるように協力してくれる。
例外はあるけど、確率は低いし、めったに起こらないことだからこそ、起こった時にはテレビで放送されるわけ。
しょっちゅう起こることならテレビで取り上げるわけないやんか。
「今日、買い出しをサボっていたため、トイレットペーパーが切れました」
とか、どうでもいいやんか(笑)
よく起こることはニュースにならない。
めったに起こらないことが起こればニュースになる。
大抵の人は優しいもんよ。
財布を見つけたら交番に届けてくれたりする。
親が心配をして、子どものやろうとしていることを止めて、親が心配しないでいいようにしちゃう。
でも、それだと子どもは冒険や挑戦ができないから、学びや成長が無くなる。
子どもの成長を望むなら、
「心配してやめさせようとする」
よりも、
「安全に取り組めるにはどうしたらいいか」
を子どもと一緒に考えて、実現できるお手伝いをすることよ。
「心配は子どもの成長の妨げになる」
とは言ってるけど、
「安全を無視しろ」
とは言ってない。
冒険や挑戦は、難しいことや新しいことに取り組むことであって、
「危険を冒すこと」
じゃない。
安全対策を怠って、危険なことに取り組むのは、それは挑戦じゃなくて、
「無謀」
って言って、ただ何も考えていないだけ。
クライミングをする人だって、命綱は付けるやんか。
キャンプをする人だって、
「クマが出ます」
なんていうところでキャンプしないでしょう?
「子どもの挑戦や冒険そのものをやめさせる」
んじゃなくて、
「子どもの挑戦や冒険をどうやったら安全にできるのか?」
を考える。
「自転車で隣町に行きたい」
って言ったら、
「まずは、近所を自由に行けるようにしようか。
それができるようになってから、隣町に行くのはどう?」
ってまずは小目標を設定してみるとか、さっき書いたみたいに、1,2回ほど親が一緒に付いていってみるとか、スマホを持たせるとかしてみる。
困った時に、近くにいる人に助けを求める練習をするのもいいよね。
安全対策って、子どものためでもあるけれども、何よりも、
「親自身のため」
です。
親自身が、子どもを安心して送り出すために、親が取り組む対策です。
「心配は親の課題」
って言うけど、パッと思い付く解決方法は、
「心配に耐える」
か、
「子どもの冒険をやめさせる」
だよね。
このどちらも、親か、子どもかのどちらかが不幸になってしまう。
心配の我慢はけっこう辛いし、子どもの冒険をやめさせたら、子どもの成長の邪魔になるし、何なら、子どもは自信を失ってしまうかもしれない。
親の関わりによって一度失ってしまった自信は、親には回復させてあげることができません。
自分で失った自信は、自分で何とかできます。
「心配しちゃう」
という課題をクリアする方針は、
「どうしたら、子どもは冒険ができて、親も安心して見守れるのか?」
っていう親子双方の幸せを前提にしてなきゃいけない。
親が我慢したり、子どもの冒険を妨害しちゃうのは、解決でも何でもない。
「お金持ちになりたい!」
って思った人が、泥棒したり、家族や健康を犠牲にして1日16時間くらい働いたりしちゃうことと同じ。
視野が狭くなってる。
誰かが苦しんだり、我慢してるのをほっとかない。
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