結論から言えば、
「行った方がいい」
とは思う。
同年代の人たちとの交流や、集団の中で対人関係の経験を積む。
勉強は自分でもできるっちゃあできるけど、みんなが当たり前のように勉強する環境に自分の身を置くと、自分も当たり前のように勉強をしたりする。
最近、ゆたぼんくんVSひろゆきさんの論争が話題になってる。
そこに、メンタリストDaigoさんやら、茂木さんやらコメントを残したりしてる。
僕自身は、学校に行ってたし、今振り返れば、学校に行ってて本当に良かったと思ってる。
友達もいたし、勉強も楽しかった。
神戸大学大学院修士号っていう日本だとまぁまぁのネームバリューのある学歴も持ってる。
ぶっちゃけ、今の活動をしていくのに、
「神戸大学を卒業しました!」
っていうのは、僕の言葉に説得力を感じさせやすくしてるんだろうな、とは思ってる。
そんな経緯もあって、僕は、学校に行って良かったと思うし、子どもたちにも学校は行った方がいいと思ってる。
自分のやりたいことを突き詰めるにしても、会社に就職するにしても、学校は卒業しておいて損はない。
学歴はあると便利。
まだまだ学歴は有用だと思う。
ただ。
僕は、ブログでは
「学校には行っても行かなくてもいい」
っていう言い方をしています。
矛盾してるように思えるかもしれんけど、
「現状の日本の教育に関して言えば、学校には行っても行かなくてもいい」
って思ってる。
今の日本の学校教育には、
「先生にガチャ要素が強い」
っていう致命的な欠陥があるんだよね。
子どもに寄り添い、理解を示してくれるような人格者の先生に当たればラッキー。
でも、言葉は悪いけど、クズみたいな先生もいる。
「どこで何の教育を受けてきたの?」
って思えるような、そんな先生。
以前、大阪にある大空小学校の元校長先生である木村先生の講演会を聞きに行った時でした。
木村先生が話し終えた後に、あるお母さんが先生に質問をしました。
そのお母さんには、小2の娘さんがいるんですけど、先生から無視をされてしまって、子どもがひどく傷ついている、って言うんです。
朝のホームルームで出欠を取る時、娘さんの順番を飛ばして名前を読んだりするんですって。
先生は、娘さんをどうして無視をするのか。
そのお母さんが学校の先生に聞いてみると、
「先に、娘さんの方から無視をしてきたんです」
と言うではないか。
「先に娘さんの方から無視をしてきたから、無視されたらどれだけ辛いのかを知ってもらうために、私も無視をするんです」
という考えで、その先生は小2の女の子のことを無視していたんだそうです。
なかなか強烈にクズな先生よね(笑)
むしろ、あんたが小学生やろ、って言いたくなるような対応。
木村先生もその先生に激怒してたけど、実際に、こういう先生に当たることは決して珍しくない。
僕も今まで1000人以上の不登校児の親たちに色んな相談を受けてきたけど、
「先生の関わりに傷ついて学校に行けなくなった」
っていう子どもはめちゃくちゃ多かった。
体罰をする先生とか、言葉の暴力がひどい先生とか。
給食の時に、牛乳を床にぶちまけてしまって、それで先生から激怒され、そのショックで学校に行けなくなった子もいました。
クラスで他の子どもを怒鳴る姿があって、それが怖くて学校に行きたくないという子どももいました。
先生の中にも、
「それをしたら相手がどういう気持ちになるのか」
が分からない先生もいるんだよね。
子どもが学校に行かなくなる理由は先生だけじゃないけど、
「先生に当たり外れがある」
って、学校教育においては致命的な欠陥です。
「もし、変な先生に当たったらどうしよう・・・」
っていう不安が一定数ある。
親にも、子どもにも。
あと、これはBASEをやってる理由とも繋がるけど、親も、先生も、
「心のことやコミュニケーションのことを学ぶ機会が無かった」
のよね。
先生は、勉強を教えるのが上手くても、子どもに寄り添うのも上手いとは限らない。
子どもに寄り添って話を聴ける親も、それほど多くはないんじゃないか?って思ったりしてる。
子どもが「学校に行きたくない」とか、「学校を休みたい」って言われたら、けっこう焦ったりするじゃない?
そしたら、子どもの気持ちを無視しちゃったり、考えを聞かずに、
「学校には行きなさい」
ってやっちゃう。
親も、先生も、子どもに寄り添える人はまだまだ少数派なんじゃないかと思う。
学校なんて、6歳になったら自動的に小学生になるんやから、子どもには元々学校に行く理由なんて無いのよ。
それなのに、学校を休もうと思ったら、
「なんで?元気なんだから行きなさい」
って言われるし、学校に行きたくないと行ったら、
「どうして?」
って言われる。
元々、学校に行く理由が無かったんだから、休むのにも理由なんて無い。
それなのに、学校に行く時には理由を尋ねられずに、行かない時は理由を尋ねられる。
親や、先生に、
「学校信仰がまだ根強く残っている」
のと、
「コミュニケーションを学ぶ機会が無かった」
っていうことで、
「子どもに寄り添ってくれる大人が周りにいる確率は決して高くない」
のよね。
子どもの気持ちを受け止め、
「そっかそっか」
ってただただ話を聴いてくれる。
親自身が、
「学校には時には休みたくなることもあるでしょ」
って思ってたりする。
そしたら、子どもは疲れたり、嫌なことがあっても気軽に休めるから、すぐに回復できる。
しかも、親は優しいし、色々と話を聴いてくれる。
先生も、決して無理強いはしないし、自分の味方でいてくれるのが分かる。
そういう環境があって初めて、
「学校には行った方がいい」
って言えるんかなと思う。
学校に行ってる子どもを支える環境ができてるとは言い難いから、僕は、
「学校には行っても行かなくてもいいんじゃない」
って思ってる。
親や、先生が子どもの味方じゃなかったら、
「学校」
っていう場所は、子どもにとってはかなり厳しい場所なんよ。
さらに、学校で友達を作るのに失敗したら、なおさらよね。
そういう厳しい大変な環境であっても、傷ついたり失敗したら、寄り添ってくれる先生や親がいれば、子どもは
「もうちょっとやってみようかな」
って思える。
学校に行くかどうかは、本来なら個々の子どもに合わせて、親や先生の対応を変えていかないといけないはず。
置かれてる環境や、個性が丸っきり違う上に、先生はガチャだし、親は寄り添ってくれないなら、
「学校に行った方がいい」
なんて言えないなって思う。
だって、子どもが辛すぎるよ。
学校に行ったら、対人関係の経験もできるし、IQも上がる。
だから、学校には行った方がいいとは思ってる。
でも、子どもの学校生活をサポートする体制が、家庭や学校にあるか?っていうと、ある学校はまだまだ極少数かなぁ、と思ってる。
そういう状況で、子どもが学校に行くと、傷ついた時のリカバリができない。
親や先生が子どもが傷ついていることに気付かずに、
「学校に行きなさい」
「勉強をしなさい」
「いつまでゲームやってるの」
なんて言うもんだから、子どもの傷は深まるばかり。
そして、行き着く先は、
「学校が嫌い」
です。
学校に行きたくないどころか、学校が嫌いになってしまう。
子どもが学校を嫌いになってるなら、
「遊びの解放」
をするだけでは、勉強をしたり、学校に行くようにはならない。
とはいえ、それでも「遊びの解放」は僕はオススメするけど、それに加えてもう一手間、コミュニケーションの工夫は必要です。
あと、時間も必要。
日本の学校教育は、ガチャ要素が強く、
「学校嫌い」
「勉強嫌い」
っていう子どもを作りやすい環境にあるから、なかなか厳しいものがあるなぁ、って思ってる。
教育に関しては、この記事も読んでみて~!