子どもがゲームをやる目的は、大きく分けて2つあると思っています。
1つは、
「娯楽」
もう1つは、
「現実逃避」
です。
娯楽のためにゲームをやる場合は、ゲームは娯楽の1つだから、ゲームもするし、ゲーム以外のこともする。
現実逃避のためのゲームは、ゲームをすることで現実から目を背けるためなので、ゲームしかしなくなる。
この状態が、いわゆる
「ゲーム依存」
です。
でも、、、
ゲームに依存することは、そんなに悪いことかなぁ。
ゲームに現実逃避するのは、そんなに悪いことかなぁ。
ゲームに現実逃避をするのは何も悪いことじゃない。
だってさ、僕らはいつだって勇気に満ち溢れているわけじゃなくて、何かを怖いと思ったり、勇気がくじけてしまうこともあるじゃない。
ゲームに逃避する子どもは、
「逃避するだけの理由がある」
っていうこと。
だから、もし、自分の子どもがゲームばっかりするようになって、それがただの現実逃避なのであれば、
「どんな現実から目を背けたいのかな?」
ってその目的について考えてみたり、
「そりゃ、現実から目を背けたくなることもあるよなぁ」
って理解しようとしたり、共感しようとしたい。
逆に、ここでもし、
「現実逃避はいけないことだ!」
って思ったら、子どもを問題視して、何とかしようとし始める。
そしたら、親の関わりは子どもにとってのプレッシャーになる。
子どものプレッシャーになれば、そのプレッシャーからも目を背けるようになっていく。
つまり、
「子どもを何とかしなきゃ!」
って思っている親の関わりが、より現実逃避を加速させていく。
子どもが現実逃避をしている間、親からしたら、
「このままずっと現実逃避をしたまんまなんじゃないか」
って思うかもしれんから、何とかしようとすると思うんだよね。
でも、ずっと現実逃避しているのも、実はけっこう難しい。
なんでかっていうと、暇になってくるから。
親が寄り添って、勇気づけのコミュニケーションができていたら、子どもが暇になったタイミングで、子どもはそっから勝手に動き出す。
現実逃避をやめて、動き出して、少しずつできることができてくる。
そして、また勇気がくじけたら、ゲームに頼る。
ある程度、ゲームで癒されたら、また暇になって、動き出す。
「ゲームに現実逃避する」
っていうのは、言い換えれば、
「子どもにとって、ゲームが心の拠り所になっている」
っていうことでもある。
僕らも何かをお守りにしたり、何かを頼りにしながら生きていると思うのね。
心が弱った時に、色んなものに励まされたりすると思うのよ。
人の言葉に、
テレビや動画、
歌、
スポーツ、
絵、
ラジオ、
遊び、
友達、
色んなものに触れて、励まされて、またがんばれる。
ゲームが心の拠り所になっている子どもにとっては、それがゲームだ、っていうだけ。
だから、親から、
「ゲームはダメだ!」
って言われちゃうと、子どもは心の拠り所を失ってしまう。
実際、ゲームをやってきた大人たちの話を聴いてみると、
「親がゲームを認めてくれていたから、辛い時期を乗り越えられた」
「今の自分があるのは、ゲームのおかげ」
「あの時、ゲームをしていたことで救われた」
っていう声は、けっこう多い。
現実逃避しているその瞬間だけ見たら、
「ゲームなんていけない!」
「現実逃避しているなんていけない!」
ってなっちゃう。
でも、しばらく現実逃避した後に、また現実に帰ってきて、がんばれるんなら、現実逃避くらいいいんじゃないの??って思うのよね。
ただ、未来のことはどうなるか分からないし、ましてや、子どもの気持ちがこの後どうなっていくのかは誰にも分からない。
だから、結局、
「子どもを信じるか、信じないか」
って話になるんだと思う。
子どもを信じない親は、現実逃避をする子どもを許せないだろうし、
子どもを信じてる親は、現実逃避をしてても子どもへの態度を変えないだろうし。
子どものゲームの問題は、ダミーでしかない。
それ自体が問題になることはない。
ゲームは、親子関係に潜んでいた問題点を浮き彫りにしたに過ぎない。
例えば、心の内側に憎しみを抱えている人に包丁を持たせたら、危ないじゃない。
でも、それは「包丁」が悪いんじゃなくて、「憎しみ」と向き合った方がいいよね。
もし、子どもがゲームをやって現実逃避をするんなら、それって、
「子どもの勇気がくじけていた」
「子どもの現実逃避を許せない自分がいた」
っていうことなんやと思う。
だとしたら、子どもの勇気がくじけているなら、勇気づけのコミュニケーションを取ったり、子どもを信じて見守ればいい。
子どもの現実逃避を許せないのなら、親が許しても許せなくても子どもには関係ないから、許すしかない。
許せないなら、子どもはその間、勇気がくじかれていくから、現実逃避の期間が延びていくだけ。
つまり、
「これは子どもの課題だな」
と思って手放して見守っておくか、
「許せないのは自分の課題だな」
と思って自分を掘り下げていくのかのどっちかになる。
子どもがゲームに現実逃避をしたところで、誰かが死んだり、傷つくわけじゃない。
何か具体的な被害が起こるわけじゃない。
だから、これは特に問題にはならん。
子どもがゲームに現実逃避しててもいいじゃない。
子どもがゲームに依存しててもいいじゃない。
何にも依存せずに育っていくことが自立じゃない。
むしろ、自分の心の状態を把握していて、適切に依存できていることの方が大事だと思う。
それが親に依存するのでも、ゲームに依存するのでもいいじゃない。
だから、子どもがゲームに依存していくことを問題視しなくてもいい、って僕は思ってる。