浄土はあるのでしょうか? 

 死後のことはわかりませんが、ただ私達のイメージしている浄土は、私達を浄土に向かわせるための方便であって、イメージどおりの浄土はないと思います。

 浄土は現実と表裏一体であって、見えないものだと聞きます。この世では見えないものはないといいます。だからこの世の価値観では、浄土はないはずです

 ですが、

 浄土を心の中の問題とすると結局自分のことで終わってしまわないでしょうか?それは、

・心の中の問題だと現実との接点が見えにくいから

・浄土を自分の中だけで考えてしまうからです。

 親鸞聖人は浄土を死んだあとのことだとはとらえていません。現実を生きている間に浄土の仲間入りをするという「現生正定聚」と言うことを言われています。

 では、

 現実を生きている間に浄土の仲間入りをするということはどういうことでしょうか?

 このことは、浄土から働きかけられていることに目覚め、新たな主体として生まれ変わることだという言われ方をしますが、

主体とは何でしょうか?

生まれ変わることは、自我から無我へ転じることといわれます。無我とは自分をなくすことではありません。自分の存在を超えたものに出会うことです。

 =>二葉憲香著『仏教無我伝承の実現』(永田文昌堂)

に詳しく述べられています。

あと、親鸞聖人の浄土観を考えるとき「歎異抄2条」を思い出します。ここには、法然上人にだまされて、地獄に落ちたとしてもかまわないという親鸞聖人の決心を見ることができます。

 みなさんは浄土についてどう思われますか?