華やかに見えるレストランのキッチン。

様々な夢と希望を胸に抱き、高校や専門学校を卒業した新社会人が新たなメンバーに加わり、実践で学びながらスキルを上げ、オリジナルの戦力となった時、そのレストランはその人のものでもあるという事実が生まれる。


オーケストラが、一人一人の演者によって一つの音色を響かせるのを私は敬愛の感情で見ています。そして鑑賞するのが好きですが、同じように一人一人の感性が一皿の料理の為にスキルを持ち合わせて完成させるひとつの料理も、私はこの上なく好きです。


そのスキルを身につける努力は、地味で惨めな思いや、苦しい努力を乗り越えてこなければ、自分のものとはならない、お客様に向き合う感性の磨き処だと私は考えます。

それは、苦労して長い時間の思索で体得した技法と、簡単に短時間で出来るようになった事の違いのように私は認識しています。

私はよく読書をしますが、青年実業家で有名な某ドラえもんみたいな方が、その著書で仰っていたのを拝見し、合理的な考えだけどもそれは叶わないのではないか。と感じた事があります。



【修行とは?】


仕事を教える前に、下積み修行と称しゴミ捨て、掃除のような料理の技術と関係ないような仕事しかさせず、何年も人生を無駄にする事に意味はない。

料理技術だけを学び、習得した技術でお客様満足の商売が出来たなら、理想的。

そのような理論で、料理人の修行を否定したホラえもん。

『心7分技3分。』

何故このような言葉が料理人に大切にされ続けるのか。

技術の裏打ちに、人の機微を知る人と知らない人の差は大きい。

更に、その深さが料理人の深さであり、その深さが感動を与えてくれるその人の個性なんだと、私は理解します。

お母さんは、家族の為に愛のこもる美味しい料理を毎日作ります。

それは、家族を理解する母の愛情ベースから産み出される事で、レストランの美味しい時間もお客様に心が向かなければ、なし得ない事だと考えるのです。

よく我々コックが、手元しか見ていない。

と料理人を揶揄しますが、手元に集中し手元しか見れない料理人の作る料理は、自己満足の料理で、その料理でお客様は感動する事は有りません。経験上。

多少好みと外れていても、心の込もった料理は心が満たされるような思いが残ります。

そのような料理人は、お客様を見たがります。

来店時にその方を目で確認したい欲求が強く有ります。

その心を学ぶには、自分が一番という気持ちを徹底的に潰さない事には先がない。

人は誰しも自分を守りたい。

しかし、料理の世界で自分を守りたい気持ちのままでいたならば、それは最早料理と呼びたくないものに成り下ります。

今日のプロ野球スワローズナイターで、守りに入ったマクガフが打たれて、スワローズの勝ちは消えました。

勝てる試合を落とした。

同点に追いつかれ、開き直ったマクガフは、その後いい投球で勝ち越しを阻んだ。

最初からその心があれば、スワローズは今日勝てた。しかし、弱い守りの姿勢が最悪の結果を産み出した。

料理も、自分を守りたい気持ちがあるうちはヘタレだと考えます。

相手の為に自分の存在が意識から無くなると、いい料理が出来上がるのは私の経験から間違いのない事だと確信しています。

よく眠れない夜を経験します。

明日早いのに、早く寝たいのに眠れない。

就寝時に、自分の事自分の都合だけに心を奪われる時、自分がありありと存在し、眠れない。

逆に寝てはいけない。

寝てはダメだと考える時、外部の刺激を欲して自身を意識しなくなり、コトンと眠りに落ちてしまう。

人とは矛盾した生き物ですね。

料理人として、若者がすぐに職場を捨てるのも、捨てられない自分があるからだと感じます。

自分の個性を大切に。自己主張のオンパレードの教育から、他者への贈与からしか自身の幸せは無いという本質に立てない人々を作り出してしまった令和の始め。


ですから、私の店に働きたいと足を運んでくれた方々に、その心を先ず育てて欲しいと考え、そのようなポジションに着いてもらいます。

具体的に、ゴミ出し、掃除、鍋磨きなど、地道で繰り返さないと仕事にならないような作業は、敬遠されがちです。

労力と精神力をすり減らすから、疲労感を伴います。

しかし、その事に進んで向き合ううちに私は一つの持論を持ちました。

好きな事もやり続ければ、飽きます。

飽きた気持ちで、素材と向き合うのはその素材にお金を払い、時間を使ってご来店されるお客様に大変失礼な行為だと。

我慢も違う。

モチベーションを保つ事が、技法よりも遥かに大切。

そのモチベーションは、若い頃に憧れて選んだ世界で、モチベーションの下がるような作業を繰り返して長い時間心を込めて実践して、自身のモチベーションをコントロールする術を体得する所謂『修行』が要となります。

器用、不器用はあまり関係ない。

やっていれば、好きこそものの上手なれ の如く誰にも真似出来ない技法を修得出来るのだから。

だから、昭和の時代にスポットをもう一度当てて、昭和の良き時代の修行のやり方のいいところ。

昭和の時代の悪しきところを明確に認識し、令和の現代の進化した思考法と掛け合わせ、令和の古き良き時代と未来に言える体系を作り上げる。

私は令和の時代は、そんな時代だと理想を明確にイメージしています。

そして、その深い思考法から編み出される、更なる新たな料理が、カンブリア紀のように爆発的に産み出される時代を見てみたいと、そんなメルヘンが時に頭の中を支配するのです。

そんな世界に就寝時に心奪われる時、私はワクワクした気持ちのまま、気持ちよく熟睡できるのです。

滅私奉公とは、いいところをピックアップしたらそれが本質だと。

物事には、必ず一長一短が表裏一体なのだから。



それでは、

次のお皿を料理して参ります…