2人のママになる | 死別シングルマザー 2足のわらじを履く⁉

死別シングルマザー 2足のわらじを履く⁉

1990年3月、帰宅途中の事故にあい、主人は帰らぬ人になりました。
乳飲み子を抱え、右往左往していた私が、今は幸齢者様と共に過ごす日々を送っています(^^♪
日常的に人生に向き合う日々は、面白くもあり、大変でもあるのです(^-^;

娘が生まれた時は、自分の体調もあまりよくなかったこともあり、また3歳神話も信じていたので💦

友人も知り合いもいない、初めての土地で、ずーーーーーっと、娘と一緒にいる事が

楽しいことも、嬉しいことも沢山あったけれど、辛いことも結構ありました😔

娘が1歳を過ぎて、入院騒ぎはあったものの、その後は大きな病気にかかる事もなく

近所に同じ年頃の女の子を持つママと知り合い、行き来するようにもなって、

少し、私と娘の世界が広がってきた時期でした😁

それでも、やっぱりずっと家に二人でいる事がだんだんしんどくなってきた頃に、

家の前で娘と遊んでいたら、ヤクルトの方に声をかけられ、働いてみたい、と気持ちが動き、

主人に話したら、家事に影響させないことを条件に、OKを貰うことが出来たんです😁

 

正社員だった私に声をかけてくださった方から言われたのが

「1年は2人目、作らないでね」でした💦←今なら何とかハラスメントかしら😅

 

でも、仕事を始めると、なぜか2人目が出来ちゃう人が多いのですって😳

 

そして、なんと私自身が、ご多分に漏れず💦仕事を始めておよそ半年。

何だか気持ち悪い日々が続き、胃薬バンバン服用したりしていたけれど、改善せず、

休憩時間中のおしゃべりで「まさか妊娠じゃないの~!?」の言葉に、産婦人科に受診。

そのまさか、だったのでした😅

 

結局、妊娠初期から、担当件数を減らしてもらい、出産予定の3か月前まで

自転車に乗って、ヤクルトお姉さんをしていました🚲

 

娘の時には、体重増加を叱られるくらいだったのだけれど、仕事をしていたおかげか、

2人目の時は、叱られることもなく、順調に妊婦の時期を過ごし、

里帰り出産で、2人のママになりました😊

 

女の子と、男の子。

主人の喜びようは半端なくて😅

娘は嫁にやらん😤

息子は、一緒に野球⚾やサッカー⚽やるんだ😄

そんな風に言っていて、実家で4人で枕を並べて寝た日の事を今でも思い出すのです😊