トシコ 旧友をしごく | ジャズについて話そうか

トシコ 旧友をしごく

古いジャズ批評を読んでいたら、面白い対談が目に入った。

50年代が青春だった方々が、当時を語るという内容で、

キングレコードの方が、レコーディングの裏話を語っている。

 

おお、どれどれ、と読んでいると、

当時も今も日本を代表するピアニストの穐吉敏子が

単身アメリカに渡って、その五年後に一時帰国した折の

レコーディングの真相をぶっちゃけている。

 

<トシコ 旧友に会う>

穐吉敏子が、渡米前のコージークインテットのメンバーだった

アルトサックスの渡辺貞夫やテナーサックスの宮沢昭ら旧友との

再会を祝した心温まるセッションのはずだった。

 

凱旋帰国しての日本での初リーダーものということで、

トシコは相当気合が入っていました。(おそらく)

 

他のメンバーは当時の日本を代表するベーシスト二名と

ドラマーは何と三名入れ替えというなんとも豪華なセッションです。

 

その辺りの事情を聞かれたレコード会社の方は、苦笑い。

ドラムもベースもアメリカ帰りのトシコのアレンジが難しくて

途中で嫌になって逃げ出したから、仕方がなかった、

という驚愕の真相です。

 

なになに、一流ミュージシャンが逃げ出した? 俄然興味がわいて早速購入した。

 

まず、疑惑のメンバーと吹きこんだ曲番はこちら。

 

ベーシスト 栗田八郎(3,4)

       原田政長(1,2,5,6)

ドラマー  白木秀雄(3,4)

       猪俣猛(5,6)

       富樫雅彦(1,2)

曲目 1、ソー・ホワット

    2、夜は千の眼を持つ

    3、ドナ・リー

    4、ケベック

    5、オールド・パルス

    6、わたすのビートーヴィン

 

いずれも当時の日本を代表する一流メンバーです。

この中の誰が、難しいからって逃げ出したのでしょうか。

益々、興味がわいてきます。ゾクゾク。

 

録音日は次の三日。

1961年3月7,8日(杉並公会堂)、27日(文京公会堂)

この三つのセッションの内どれがいつなのかは明記されていません。

ワクワク。

 

ようやくやってきたCDを速攻プレイヤーに入れる。

三人のドラマーの中では一番の若手、富樫雅彦の1,2。

1曲目ソー・ホワットは、この二年前の59年にマイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」で

発表されたほやほやのモード曲。

皆神妙に演奏しているのがわかります。でも、何らリズム的に難しいことはやっていない。

 

2曲目「夜は千の眼を持つ」。はいはい、来ました。

これ五拍子ですね。

一番有名な五拍子の曲デイブ・ブルーベックの「テイク・ファイブ」(作曲はポール・デスモンド)が

発表されたのがカインド・オブ・ブルーと同じ59年。

こちらも本場の粋のいい変拍子ジャズですが富樫はさすがに難なくクリアしています。

 

しかも、十代から活躍してトシコのコージーカルテットにもいたことのある富樫雅彦は

そもそも途中で逃げだせないトシコとの師弟関係にあるはず。

ということは、逃げた二人って……。

 

当時の日本ジャズ界の大スター、白木秀雄が叩いた次の3,4。

三曲目急速調のドナ・リーは皆さんお手の物です。

問題は次の四曲目、当時のトシコの夫君、アルトサックスのチャーリー・マリアーノ作曲の

「ケベック」という曲。

 

これがなかなかの難曲。

というか、ドラミングがどうのというよりも感覚的にハードバッパー白木秀雄には

ついていけない部分があったのでは。

当時最先端にあったモードとフリーのフレーバーのこの曲は

今となっては時代を感じさせるもので、

江戸っ子の白木は自分のメンバーでもあるベースの栗田八郎を誘って

辞めちゃった、というのが真相でしょう。

 

こちとら曲がったことがでえッ嫌いだあ。こんな縦も横もわからん曲は、やってらんねえよ。

おう、八。やめるぞ。

 

ってな感じだったんでしょう。(多分)

それで、こまったプロデューサーは、名人原田政長と猪俣猛を次の日(3月8日)の

セッションに急遽呼んだ。

 

おっとりがたなで駆け付けた猪俣猛は、頑張った。

5曲目「オールド・パルス」はまだよかったが、

6曲目「わたすのビートーヴィン」、これがいけません。

題名からしてやばいムードがプンプンします。

 

トシコがかわいがってもらったというチャールズ・ミンガスっぽい曲調の

難曲です。

額に汗し必死に譜面を読む猪俣猛の姿が目に浮かびます。

そして、おそらくはこの曲に想像以上に時間とテイクを取られたのでしょう。

この日終了するはずだった録音は二曲しか録れなかった。

どうすんの。

 

トシコは当然機嫌が悪くなり、プロデューサーはおおわらわ。

なんとか、別の場所で二十日後にスタジオを抑えて、トシコの機嫌をうかがったことでしょう。

予算オーバーだがこの際そんなことは言っていられない。

ドラマーの猪俣猛は、すみません、その日は別の仕事が入っていてと

真っ白な手帳を見るふりでもしながら体よく断りの返事。

 

頭を抱えたプロデューサーは、若くて、トシコの元メンバー、

富樫雅彦で事なきを得たと言う、一大推理話が出来上がった。

 

どうでしょう。こんな感じだったのでは……。

 

そこをふまえて、監修した久保田二郎の当時の解説を読むと、

また違った意味で面白さが倍増するすぐれものです。

 

ジャズの厳しさにふれた思いです。