金閣寺 炎上

テーマ:

皆さんは、こちらに行かれたことは

ありますか?

 

     

修学旅行の定番『金閣寺』

もみじもみじ秋の行楽シーズンもみじもみじ

観光客でいっぱいでしょうね。

     

さて、金閣寺は誰が作ったでしょうか?

     

この方です下差し

      

ご存知「将軍様」こと、室町幕府三代将軍

足利義満の命により建立されました。

 

〜おさらい〜

金閣は1397年に足利義満(足利3代将軍)が

その90年後、
銀閣は1489年に足利義政(足利8代将軍)が

建立。いずれも室町時代。

また、京都北山に金閣を建てたので、

その頃の文化を「北山文化」といい、
東山に銀閣を建立したので、

「東山文化」といいます。

 

また銀閣を建立した頃、11年に及ぶ

応仁の乱があり、銀閣は静かに生活を送る

ために、質素の外見になっています。 

そして内部は書院造といい、現代の

日本建築のルーツになっています。

そして室町時代に流行り、現在にも受け継が

れているものといえば、
生け花、茶道、御伽草子、能・狂言、盆踊り

などなどです。
 

 

では、次は金閣寺についてお勉強。

今から620年ほど前の当時は京都御苑に

匹敵する敷地があり、日本の政治機能が

集約されていました。

臨済宗相国寺派の禅寺で正式には鹿苑寺

といいます。

義満の死後、遺言により舎利殿(金閣)

を残し解体され禅寺となりました。

金閣の建物の内部は三層に分かれており、

第一層公家風の寝殿造り(一階)

第二層は鎌倉時代の書院造風(二階)←公家より上に作られたのがミソww

第三層は禅宗様仏堂風の造りので(三階)

異なる三つの様式を組み合わせた建築は

斬新でした。金箔は二層および三層に

貼られているそうです。

 

 

さて、今日のお題

平成6年(1994年)世界文化遺産に

登録された金閣寺が一度、放火により

焼失していることはご存知でしょうか?

 

 

7月2日にこの記事を上げようと思って

いたのですが、色々記事をあげているうち

に、のびのびになってしまい、3ヶ月遅れ

になってしまいましたショボーン

 

金閣寺は創建後、幾度も修理を行われまし

たが昭和25年の7月2日に放火により全焼。

しかし、事件から5年後の昭和30年に

復元。明治時代に大修理が施されており、

その際に詳細な図面が作成されていた事か

らきわめて忠実な再現が可能でした。

 

この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』や

水上勉の『金閣炎上』の題材となりました。

犯人は見習い僧侶、現場近くで自殺未遂する

も逮捕され服役しましたが、

結核と統合失調症が進行し、病院に移設後

病死しています。(wikiより)

        

今の美しい金閣寺は喪失直前の姿ではなく、

建設当時の金箔ば貼られた美しい姿で再現

されました。喪失直前は金箔が禿げていた

状態でしたが、焼失後の現場検証で金箔の

以前の状態が明らかになり、今日の美しい

姿を取り戻すきっかけになったようです。

         

 

なんだか、最近「心の病」の芸能人とか

変な言動の人が増えて来ている印象ですが

昔からあったんですね〜。

精神的な病気の研究が進んで病名などが

付いて増えて来ている印象になっています

が、増えているわけではないのかも?

  

けれど犯罪の隠れ蓑には決して

ならないで欲しいものです。

 

 

      

やっぱり素敵ですよね。

当時、この色彩すごいインパクトあった

でしょうね。

      

いいな〜日本の行楽のシーズン栗焼き芋紅葉イチョウ

 

最後までお付き合い有難うございました。

 

⚠画像は感謝しつつお借りしております。