「恨(ハン)」についての個人的な考察 | シンシアリーのブログ

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ようこそいらっしゃいました。私はシンシアリーと申します。ブログや書籍などで韓国の反日思想を論じています。韓国人でありながら、変わった形での活動になりますが、出来る限りのことを尽くしたいと思います。


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久しぶりにシンシアリーの長い雑記です。




頻繁に質問を受ける内容でもありますが、

韓国人の「情緒の根本の一つ」とされる、「恨(ハン)」ってなんでしょうね。




韓国人の根本情緒は一般的に恨(ハン)だと言われています。


それについて、もはや正解は無いかもしれませんが、自分なりに考察してみたことを書いておきたいと思います。




・「怨」と「恨」はどう違うのか?


普通に本を読んだりネット検索したりしてみると、“他の国には「怨」の概念はあっても、「恨」は無い、韓国民族特有のものだ”とされています。


じゃ、怨と恨はどう違うんでしょうか?


韓国にはウォンハン(怨恨)という言葉もあるし、ウォントン(怨痛=ものすごく悔しい)という言葉もあります。

それらは、今では「恨」と同じ意味で使われているので、なおさら疑問でした。



自分なりに調べてみて、シンシアリーは次のような結論に至りました。


「怨」は晴らすことができるけど、「恨」は、実は「すでに挫折されて」いるため、何をしても晴らすことが出来ないもの。

諦めて苦しむしかないもの。


伝説や芝居などでは恨みを晴らす内容があるから「怨」と同じ意味で使われることもあるけど、

だからこそ、「現実」では晴らすことができない怨・・・それが「恨」である、と。


海外で韓国人の恨について研究している人の中には、「恨とは、挫折された希望である」と話す人もいるそうですが、それはとてもうまい表現だと思います。





・恨と奴隷根性


じゃ、何故「晴らすことが出来ない」のか?

面白いことに、そこには「他人のせい」と、「どうしようもない」という二つの要素があり、実はそれは奴隷根性と関わりがあります。


奴隷にもいろいろあると思いますが、ここでは悪い意味で考えてみましょう。


奴隷は、結果に対して決して自分で責任を持とうとしません。

責任を持った所で、それは自分のものではないからです。責任を持たないから、反省もありません。反省がないから、自分のせいだとは思いません。なんでも「人のせい」にします。


奴隷は、「どうしようもない」と諦めます。

自分という存在への裏たる劣等感は「主が憎い」と囁いているものの、主という存在への表たる服従心は「逆らってはいけない」と囁きます。だからその間で、「悔しいけどどうしようもない」という、不思議な情緒が出来上がります。



それが「恨」なのでは、と考えることも出来るんじゃないでしょうか。



奴隷だからといって、エジプトやローマを描いた映画などで出てくる、そんな奴隷だけではありません。


元々恐ろしい階級社会だったため、言い換えれば、国民の殆どは奴隷だったのではないでしょうか。上の階級から何をされても、どうしようもない。

男女差別が酷かったけど、女で生まれたから、どうしようもない。

弱者で生まれたから、強者に対しては何も出来ない。されるがままだ。どうしようもない。


それが「恨」であるのです。



「韓国人は序列好き」と何度か書いたことがありますが、実は「序列には逆らえない」という認識があるからこそのことでは・・・とも思えますね。


何かのとても部分的なランキングでも、日本より上に立つと、日本は韓国に逆らえない・・・そう思っているのでは?と思うと、面白いですね。





・恨と和の差


じゃ、何か不幸なことがあって、「どうしようもない」とするしかない・・・なら、ふっと、天災の多い日本ではどうだったかな?と考えてみました。


日本でも怨の概念はありますが、それ以上に「」の概念が強いですね。


和というものに対してもいろいろ考察したいとは思いますが、


同じく「どうしようもない」でも、少なくとも「どうしようもないから人(天)のせいにしよう」というより、「どうしようもないけど、皆で何とかしてみよう」という意識が強かったことだけははっきりと読み取れる気がします。




「恨」が「希望が挫折された消えない悔しさ」なら、「和」は、「悔しさの中でも決して消えない希望」を口説いていた、とでも言いましょうか。






・恨とファビョン(火病)


ちなみに、西洋・・・というか、キリスト教圏には、悔しいことがあっても、それを神の意志と受け入れ、決して相手を憎んではいけない(判断は神がするもので、人間がするものではない)という教えがあります。普通に「万事に感謝せよ」とか言います。


ま、簡単に言うと、世の中の流れたるもの、神の判断によるもの・・我々は我慢しましょう、と。


だから、お互いを赦しあう必要がありました。


赦しはイエスの最大の教えともされており、
西洋の倫理教育の根本を作って来ました。



これはある牧師が書いた内容ですが、部分的に引用すると、



「・・・恨というものは胸の中に固まった塊を一人で耐えてこらえて我慢することだ。 それで、私たちにはファビョンが多い。

火病は欝火病の略語で、火が積もって(欝)できた病だ。 ファビョンは米国精神医学協会の精神障害の診断および統計便覧4版(DSM-Ⅳ)に 'Hwa-byung' という韓国語で正式表記され、韓国民俗症候群として規定されている。 英語では怒り症候群と翻訳され、怒りの抑圧により発生すると定義されている・・・」


簡単に言うと、恨による病気が大勢の人々の中に存在している・・・と。


この牧師さんはその解法として、同じく「赦し」が必要だとしています。



ま、それが出来るなら問題無いですけどね・・・出来ないからファビョンが消えないわけでして。



そう、ここで指摘したいのはこれです。


どうしようもないと自覚しているくせに、赦そうとはしない」ということです。これがまた、「恨」の一面です。





・恨と反日



さ、これが結論ですが、


恨というのは、

「意外と自分勝手なもの」、

「すでに挫折されているため、晴らすことが出来ないもの」、

「そのくせ、赦そうとはしないもの」だと整理してみました。



その結論は、「恨は消えない」ということです。



相手をいつまでもいつまでも憎み続けます。


おまえのせいだ、おまえのせいだ、おまえのせいでこうなった。


そして貪ります。


おまえのせいだから、晴らしてもらうぞ・・・


俺が受けた痛み、苦しみ、損害・・・全て、お前も同じ目に会え・・・・




でも、消えません。



例えそれが自分勝手に出来上がったものだとしても、外部的にはすでに主体が諦めているのに、内部的には赦そうともしていません。だから、消えません。



「挫折された希望」とするなら、その「挫折した」時間に固定されている標本のようなものだ・・・とでも言いましょうか。




相手を自分の「奴隷」にすることで、ある程度の満足(自分と同じ目に会わせた)を得られるかもしれませんが、

それでも恨は消えません。満たされないからです。消えた時点で、満たされた時点で、それは「恨」ではありません。





永遠に、いつまでも続きます。



この恨(ハン)がクローズアップされたことには、実は韓国では「朝鮮民族」ではなく、「韓民族(ハン・ミンジョク)」という、「恨」と同じ発音の文字が一般的に使われているのもありますが、

その裏には反日があります。




恨が対内的に向かっているのは、間違いなく今までの韓民族の社会問題ではありますが、それは元々奴隷根性とも関わりのある情緒であるため、「抑えられた」ままです。そして、それで問題ありません。


ま、すでに美化されていますし・・・

「我々韓民族は、恨という重くて苦しい情緒を抱きながらも、文化や芸術でそれを克服してきた」という本もありました。

恨みを晴らす物語や、貴族たちを馬鹿にする舞などがあったのがその証拠だそうです。

そういうのが無い民族って、あるんでしょうか。




じゃ、対外的にはどこに向かっているのか、というと・・・言うまでもないでしょう。

日本です。


「日本には何をしても大丈夫」、と覚えてしまったため、「恨」が日本に向かいやすいのです。


もちろん、何でも出来た所で、恨は消えませんけど。



解決法は一つです。



韓国とは適切な距離を維持してください。近づくのは危険です。



昔どっかで読んだ詩の一部を借りれば、「軽い一度の握手で笑ってサヨウナラ出来る関係」が望ましい、とでも言いましょうか。



例え自分勝手に生まれたものでも、本物の恨は、消えません。

日本がいくら頭を下げても。




適切な距離、それは言い換えれば客観的な関係という意味でもあります。











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