「鞭声粛粛夜河を渡る 暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一剣を磨き 流星光底に長蛇を逸する」
不識庵(謙信)機山(信玄)を撃つの図に題す 頼山陽
馬塚古跡(南本町二丁目)
永禄4年(1561)、第四回川中島の戦いの際、上杉謙信が敵陣に切り込んでいった時に乗馬していた
愛馬・「放生月毛の駒」が傷つき、謙信とともに春日山に帰る途中、ここまでたどり着き倒れ埋葬した。
と伝えられている。
この辺りは、春日山城まで約6kmの所、昔、馬塚町と呼ばれていた。
百間堀の近くに、馬塚古跡がある。
約450年前の、上杉謙信ゆかりの塚である。
今は雪にに覆われていた。(1/17撮影)
以前にもこの馬塚古跡を取り上げた。雪の馬塚古墳は初めてである。
「馬塚の説明札」が建てられている。
この辺りは中世の頃信州に抜ける道であった。
ほとんど雪に覆われた馬塚古跡の石碑。