虚心天に通ずとは学生時代に座禅に通っていた禅寺、鎌倉の報国寺の住職さんから頂いた考案。
頭で考えてはいけないのが、座禅、すべて体現である。
私にはすべてがお茶であるから、虚心はお点前のなかに求めるものであった。
そう、早い。
もう、40年以上が経つ。
今日は気が付くと、奥秘、奥伝の伝授式が今週に迫っていた。
午後の早い時間は誰も来ない。
よし、もう一度、行台子、真台子をやろうと決心。
教える私がこんなまじかに、お稽古したことはない。
理由はないが、やらないと私の中で自信が生まれない。
このところまた歩けなくなっている。
いつものように、自分の周りにお道具を置き、行台子から始めた。
書いたものも、写真も見ていないのに手が勝手に動いている。
気が付くと濃茶がある。
お点前はゆっくりなのにいつもより早く終わる。
真もしてみようと思う。
時間はかかったが、同じである。
働きの解ってることはすべて、手が自然に動いてくれる。
無意識である。
何も考えない、順番も所作も、真とか行とか草も考えない。
病んだ母に、生徒さんがいる。
病が癒えるように、心を籠めて虚心にお点前をした。
母と生徒さんのお蔭で、私は40年かかった壁を乗り越えた。
祈る虚心の心は、神さま、仏さまにも通じたのだろう。
私の茶道は、これである。
天国の禅の師、菅原義道和尚が笑っている。
ありがたい、ありがたい!