迷彩服を着こんだ数十人の中高年男性の団体が4月9日、韓国・大邱の慶北大キャンパスに集い、次々と怒声をあげていた。ベトナム戦争の退役軍人団体「枯葉剤戦友会(大韓民国枯葉剤後遺症戦友会)」である。
団体の名称からはベトナムで枯葉剤を撒いた米軍への批判デモを想像させるが、怒りの矛先は韓国軍による民間人への暴行・虐殺の被害を受けたベトナム人の講演会に向けられていた。現地紙記者が語る。
「講演会の主催者側に対して『放っておいていいのか。殺してしまえ!』という罵声や開催を許可した大学当局に向けて『学長は辞任しろ!』といった怒号が飛び交って、辺りは騒然としていました」
本誌は昨年4月、3号にわたって「韓国軍はベトナム戦争で何をしたか」をレポートした。ベトコン狩りの名のもとに各地の農村を襲って村民を虐殺し、若い女性を強姦して殺害するなどの蛮行が繰り返された。民間人犠牲者は9000人にのぼると推計されるが、この事実は韓国社会で長く「タブー」とされてきた。
今年はベトナム戦争終結から40年にあたる。そのタイミングで韓国軍による虐殺の生存者が生き証人として初めて訪韓したのだ。訪韓したのはグエン・タン・ラン氏(63)とグエン・ティ・タン氏(54)の2人。
ラン氏は1966年2月15日、韓国陸軍「猛虎部隊」襲撃で65人が犠牲になったタイビン村事件の生き残りの男性である。この村では約1か月で1000人以上の村民が殺害された。
韓国のリベラル紙『ハンギョレ』によればその日、ラン氏は防空壕に隠れていたが、猛虎部隊に見つかって引きずり出された。「20世帯あまりの住民が集められ、一人の軍人の号令とともに四方から銃弾が飛んできて手榴弾が投げられた」という。母親は下半身のない死体で発見され、妹は頭に重傷を負い、数時間後に死亡した。
タン氏は1968年2月12日、韓国軍によって住民74人が犠牲になったフォンニ・フォンヤット村の生き残りの女性で、虐殺により家族5人を失い、自らも腹部に銃弾を受けた。
女性や子供にも容赦しなかった韓国軍による残虐行為の告発を枯葉剤戦友会は妨害した。ベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤の被害を受けた退役軍人を主体とする同団体の会員数は2011年時点で約13万人。在韓ジャーナリスト・藤原修平氏が語る。
「団体のホームページを見ると、ベトナム戦争は『反共の正義の戦いであった』と位置づけられています。また参戦により約10億ドルの外貨を獲得し、経済成長の礎を築いたと考えられている。彼らにとって今回の被害者はその神聖な戦争を冒涜する存在であり、許せないということなのでしょう」
枯葉剤戦友会は2013年5月、ソウルで安倍晋三・首相と橋下徹・大阪市長の顔写真や名前が印刷された垂れ幕を燃やし、両氏の慰安婦関連発言に抗議していた。
日本には「戦争被害者である慰安婦の声を聞け」といいながら、ベトナムでの残虐行為は隠蔽し、「被害者は何も語るな」という矛盾してきた韓国の姿勢を象徴する団体なのである。
※週刊ポスト2015年5月1日号
2015.04.22 ZAKZAK by 夕刊フジより転載
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150422/frn1504221540005-n1.htm
朝鮮の諺に「ウソも100回つくと真実になる」というものがあります。
つまり真実など彼らにとっては大した価値はなく、たとえ事実であろうが暴力や罵倒で言論を封殺し、自分たちの都合の良い歴史だけを周囲に周知させられれば、それが勝利であり真実となるのだ。
まさに朝鮮人の性格を見事に表した諺だという気がする。
しかし、自分たちの作り出した矛盾にも気づかず真顔で抗議する姿は、世界中から懐疑的な視線を集めると共に、あちらこちらで韓国バッシングが始まる結果にも繋がっている。
韓国人は自らの矛盾と向き合い、もう一度歴史の真実を追究する必要がある。