ジクラグに住んでいたのは日本人かも知れません。
なぜなら
十戒の原文は命令形じゃなかったらしいのです。
基本的に子音を使う人たちは、主語を省かずに、
自分の言う事を「相手に理解させよう」とします。
これに対し日本語は殆どの場合で主語を省きます。
母音を使う人たちは「相手を理解しよう」とする。
例えば、
日本人は会話の前に相手の求める物を探ります。
仮に「スシ(寿司、鮨)」が食べたうとする。
日本人は相手が「スシ」を上手く言えなくて、
スス、シシ、シスなどと言い間違えたとしても、
「スシが欲しい」と理解してくれるはずです。
話を戻すと十戒の原文は主語が省かれていた。
だから期せずして
「命令文」に成ってしまった。と思います。
シナイ山で
モーセが待っていたのは翻訳作業かも知れない
失明して視力の治療中なので返事はごめんなさい。