![]() | バッシング論 (新潮新書) 814円 Amazon |
久々の本批評になりますが正直、タイトルに惹かれて読みました。
が、内容は分かるようなわからんような、他にもっとしっくりくる
仮説がありそうですが、著者が思うところの一つに
『辞書的基底の喪失』を挙げています。
辞書的基底の喪失とはなにか?といいますと
辞書ってのは時代が進もうと内容の定義はさほど変わらない。
例えば「猫」の定義って、そう変わるものじゃない。
猫はいつの時代もネコですが、基底の喪失とは時代が進むと
猫の定義がコロッと変わることがある、猫がネコでなくなる、
辞書内でネコの定義が”上書きされ”ることを意味し
常に新しいものが善とされ、それを追いかけることをなかば強制的と
いいますか、そうすることに誘導されるというのだが
それがなぜ不純とするも、池に落ちた犬を集団で叩く行為に及ぶのは
一回読んだだけではよく理解できんかったです。
これは一度置いておくとして、前に、磯田道史氏が『村請制』と
いうものが日本人のDNAに刷り込まれてるという話をしてたことの
ほうがてっとり早く理解できるんで、今回はコチラの方を。
『村請制』とは、江戸時代には税金として年貢で払ってた。
その年貢ってのは、個人個人で納めてたというのではなくて
『村単位』いわば”共同体責任”で払ってた。
ということはです、働かないヤツがいる、病気で働けないヤツ
高齢で足を引っ張るヤツがいたとすれば、それはマイナスなんですね
それらの人以上に自分が働かないといけなくなる。
そんな連中は自分にとっては”害になる人間”であるなら、愚痴や誹謗
の一つも出るってもんですし、そんな”生産性の低い人間”がいなくて
自分と同等レベルで構成されてたムラであるなら労働も平等のはず。
所得も右か下がりの昨今、あやゆる物欲や恋愛も我慢し汲々としてる
傍らで、浮世離れした高額所得者が酒池肉林の生活を謳歌、
不倫や浮気し放題なら、叩きたくなるのも理解できるが
そこには妬み嫉みは当然含まれるわな。
持てるものと持たざるもの、したくもない我慢を強要されるものと
好き勝手に人生を謳歌してるものの二極化、それは色々な立場で
いつの間にやら日本人間で分断されてしまった感は、いつからだろう?
コレね、枝葉末節的に事例をあげつらうとキリがなくなるんでね。
次の機会(があるならですが)に回しますが、なんだろう、
最近のマスコミの大したことでもないのに、さも大変なことのように
煽るやり方ってのは・・・?
キャッシュレス社会や云うて、ポイント還元せんヤツはアホか?
みたいな風潮に、あれはひどかった「今週のガイアの夜明け」での
日経新聞の論説委員の「消費税10%では足らない解説」
不安を煽るだけ煽る、恐怖を植え付けて誘導しようというのは
テロの手法と同じということがわかってない。\(*`∧´)/
消費税10%の裏で、肝心なことをひた隠して誘導しとる。
経団連の守銭奴連中がこぞって「もっと消費税を上げろ」と
口を揃えて気色悪い、そこにもキチンと裏と目論見があることを
隠してる。
因みに消費税は廃止が理想で、減税論者のこの私
当然、代案はありますよ。野党の反対しか言わないアホ連中と違って。
「立憲民主党のE野Y男」って、突っ立てるだけの”でくの坊”
みたいやん、見た目がね。
最近のE野って、何もできないオーラ満載やん。(^O^)
