欧州の観光業者は、不満があっても苦情もいわずいつの間にか消え去る日本人観光客を称して’妖精’と呼んだらしい。日本人の美学として、相手を責めるのは心地よくないから、それを避けるのだ。相手にしてみれば、原因不明で静かに遠ざかる日本人は不可解である。気づいた時には閑散とした観光地と困惑する関係者が残される。ここに至ってやっと、彼らは静寂に恐怖する事態に陥るわけだ。我々の美学では「秘すれば花」「沈黙は金」であるし、ましてやもてなしのプロたるべきホテル等は察するのが当たり前なのだ。客に不満や苦情を言わせるのは、無粋でプロ失格だと査定される。大目に見てやるという自己満足でその場は辞しても、帰国したらこの限りではない。ネット等で自分が受けた’おもてなし‘を事細かに晒しあげ、当地への旅行予定者への注意を喚起する。かくして悪評のたった観光地は避けられることになる。
 日本人の嫌悪表出は、相手を罵らない。攻撃的でなくできる限り相手を避ける手段をとり、そのうえで相手が悟ることを待ち続ける。我々の嫌い方は世界的にみて特異なのか?ずっと気になっていた。’和を以て貴しとなす‘ことが日本においての処世術であり、他者との対立はどこまでも避けたい、可能な限りの妥協を探るのが日本人の常識だ。天災の多発する国土で生き延びるためには、人災を避けるのは有効な手段であったろう。大東亜戦争(当時の内閣はこう制定したのでこの名称で呼ぶ)時、この対応で実害を受けたのは英国である。日本的対応で限界まで譲歩し、遂に臨界突破するや否や英国海軍の誇りプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを葬り去った。サミュエル・ハンチントンいうところの’文明の衝突‘の現出でもあった。ここまでくると、自己の限界以上まで譲歩するのは美徳ではなく、ただの迷惑なのかもしれない。
 お恥ずかしいことに、いい年になって今更古事記を読み返している。元ウクライナモルドバ大使・馬淵睦夫氏の「国体の正体」は平易で解りやすい。ふと気付いたのが、日本人の対立を避けるのは、天照大神の天岩戸隠れに由来するのではないかという事。言っても通じない相手は無視するのが、日本的憤怒の最大級の表出になる。引きこもって世界を暗闇にし相手の反省を促す天照大神と、よく似た話がギリシア神話にもある。農神・大地の母たるデメテール、彼女は娘を冥界の王に奪われ神事をボイコット・・・かくして地上の実りは枯渇する。困窮した神々は交渉の末元の状態を回復するのだが・・・。
 我々も潔癖な拒絶(心理的に楽である)より、忍耐強く論理的な交渉能力スキルを付ける時にきているのかもしれない。