ひとつ前の記事にも書きましたように、きのうはちょうどマジックアワーと呼ばれる夕空のうつくしい時分に、久しぶりに乗る自転車で団地のほうに向かって出かけたわけですが、感性が全開する歓びを味わえて、大きなギフトがもらえた気になりました。
雨も上がって空気がとても澄んでいるのが感ぜられたのと、空気が湿り気をおびて冷たかったのが印象的で、それらはなぜかなつかしい感覚でありました。
マンモス団地と書きましたが、もともとは、草深い谷でした。小学校の頃までは。蛇もいたでしょうし、さまざまな生物が息づいていたことでしょう。それが宅地開発にともない、高層建築の林立する公団が建つこととなって、すっかり人間の居住区に変貌を遂げました。
近所の遊び場となっていた原っぱだとか、インディアン山と呼ばれたメサに似た地形を見せる場所がどんどんなくなり、住宅が増えてゆくという、そうした変遷を見てきました。
日本の高度経済成長とそれにつづく時代の象徴ともいえるかもしれません。
団地の中に入って行き、緩やかなカーブに沿ってスロープを下ってゆくと、谷間のように感じられるゾーンにはいりました。そこは完全に日陰になっており、アスファルトが濡れているのがわかりました。
雨上がりの植物群が、車道と歩道とのあいだに植えられているのが目に留まりました。最初に目をひいたのが、山茶花の紅い色でした。おもわず、自転車を停めて、写真を撮りました。
通行人は、たまに一人通るくらいですが、よい気分でいるときは、ハートが開いているせいか、そうした人にも意識が向いて、目を合せてもまったく緊張がないばかりか、ここで生活しているんだな、という親しみの感情すら湧いてきて心がホッコリと温かくなりました。
わたしたちは、意識せずともエネルギーを常に放っています。きっと柔らかな和んだエネルギーがわたしから放たれていたことでしょう。
人が通り過ぎてゆくのも気にならず、ひたすらに草花の写真を撮っていますと、幾つかの気づきに見舞われました。
草花って、その種類も多種多様なら、咲き方も様々なんだな。
たまたま下を向いて咲いている水仙の花を見たのですね。(母が大好きな花でした。喪中はがきのデザインにも水仙を選びました)
そういうのもあれば、日に向かって咲いているのもある。ここは日陰だけれど、日向に咲いているのもある。ほんとうに様々なんだ、とおもったとき、人間も同じだな、と気づいたのでした。
一人ひとり、まったく違う人生を歩んでいる。運命も異なれば、境遇も異なるでしょう。
でも、きっとそれぞれに完璧なんだ、と。
つまり、自分で決めてきたシナリオどおりに生きている、というかぎりにおいて、人は皆、完全な存在なのだ、ということをおもったんです。
魂には大きさがあるそうです。大きい魂もあれば、小さい魂もある。働きの大きい人もあれば、小さい人もある。別に大きいからよいとか、小さいから劣っているということもない。大きく悪事を働く人、というか、そうした運命をになってこの世に出ている人もあるし。小さな魂であっても、清らかな小鳥のように、心正しく、つましく生きている人もいるし。
だから、大小は問題ではない。その意味では、樹木も草花も人も同じ。
そんな考えが、自然とあたまのなかで展開していったのでした。
すると、また母のことが、母の地味な生き方が、思い出されて、しばし追憶にひたっておりました。
選曲: 言海 調/言海 六羽
母は、この世であれがしたい、これがしたい、あれになりたい、これになりたい、という想いが、少なくともわたしが物心ついてから、あった試しがないというか、そういう欲みたいな想念が感じられたことは、一度もない人なのでした。
ところが、目的もなく、果たしたい願望もなくて生きている自分のことを、努力していない、ダメな自分と捉えていたようです。
わたしのごく若いとき、タロット占いを生業としている友人に見てもらったとき、母を「風に吹かれた瓢箪のような生き方をしている人」と、彼が評したのは、おおむね当たっている、とおもってきたし、本人もそう信じてきたのでした。
しかし、それは母がおもっているほど、悪いことではなく、むしろそれだけ欲望想念が少ない状態で、今回の生で誕生しているということなのではあるまいかと、おそらくこの数年のうちに、少なくとも二、三年くらいで考えるようになってきておりました。
実際、植物でも鳥でも、子どもでも、見るものに興味をもち、観察し、いきいきとした歓びを感じ、表現している母の姿を何度も見てきたわたしとしては、母の心が或る程度まで浄まっていたのはまちがいないとおもえるのです。
そうすると、この世であれがしたい、これがしたい、という欲がとうに尽きている、滅尽している人間が、植物に注意と興味を注ぎ、想いを寄せ、愛を注ぐというのも、ごく自然なことなのではないか、ということにきのうは改めて意識がフォーカスされ、思いを致したのでした。
花鳥風月。という言葉があります。風雅です。わかりやすくいえば、俳人とか歌人のイメージですね。この世的なことに興味がない。なんで生きているのか。そこがいちばんよくわからない、というか、関心事となっている。だからこそ、二十歳そこそこで、Heideggerの『存在と時間』に没入したのかもしれませんが。
30代の頃の自分は父祖の地である鎌倉に住み、予備校の講師として全国各地を回っていたので、それなりに実入りもありながら、20代初めに結核療養所で過ごし、それから瞑想の道に入ってある意味、世捨て人の心境となっていましたから、30そこそこで、和歌の世界に親しみを感じて、参入し、また茶道の稽古にも通っていた(宝戒寺)のでした。
もし、この世の人が一人でも多く、瞑想をおこない、私利私欲を離れた純粋な祈りが自然と溢れでるようになれば、もっと植物をはじめとした自然と親しみ、その結果、心が静寂となり、平静となり、謙虚となり、感謝に満ち、愛が流れだすのではないか。したがって、平和になるのではないか。そういう思考が湧き出てきて、よい心地になりました。
高層団地の谷間にひっそりと息づく草花。雨上がりの濡れた舗装路と冷たい空気のなかで、誰かこのへんの住人が植え、お世話をし、見守り、目を楽しませ、癒されている草花たちと出会い、そこからいいエネルギーを受け取っている、このわたしという存在。
そこでまた母の人生、あり方、生き方に改めて思いを馳せることとなり、目を上げれば、暮れてゆく夕空に、この世とあの世の神秘なるあわいが感じられ、なにやら言葉にならない感慨に昨日の夕方はふけっていたのでした。
そうやって、久々に自転車に乗って出かけたことにより、小さな感動を味わえ、いい一日だったなあ、という満足とともに、眠りに落ちたのでした。それも深夜2時過ぎでしたか。いけないとおもいつつ、どうしても超夜型人間なんですが。
すると、たしかあれは夜明けのことであったかとおもうのですが、夢を見ました。
亡くなってからは、そんなに何回も出てきたわけではない母が出てきました。
70代くらいとおぼしき見知らぬ女性が、わたしと話したあと、なぜか寝台に寝ている母の隣に横たわりました。すると、死んでいるはずの母が、目をあけて、語り始めたのです。その言葉は覚えていないですが、たしかにその中にわたしの名を呼んだのです。若返っていて、認知症でもありません。(えっ!お母さん、生き返ったのか?!)と、わたしは驚愕するとともに、嬉しい「感情」を「体験」できたのです。あんまりにもリアルでしたので-
理性とか、知性とか、知的な認識だとか……そういうものよりも、「感情」という一定の役割をになわされたものが、わたしたちの「霊性」を「進化」させるためにどれほど「有益」であることか。ということを、わたしは、シュタイナーから学んでいます。
それだけに、事の真偽なんて、ある意味、どうでもよいのであって、それよりも何よりも、夢をつうじて、私が新たな体験をさせられ、これまでまったく味わったこともないような、未知の体験をするとともに、「初めての感情」が経験できた、ということがいかに大きな意義をもつことなのか、ということを感じたことが貴重なのではないかと、おもったしだいです。
これは、何のことやら、わからないという方は、少なからずおられるかとはおもいますが、それでも敢えてお伝えしておきたいとおもったのです。
キーワード: 復活。霊主体従。永遠の存在。永久の魂。
何か重大なヒントをあたえられた、とおもっています。
選曲: 言海 調
選曲: 言海 六羽