詩歌藩国 広報部(偽) -4ページ目

アスタシオンが学校に行くようです

(この物語はフィクションです。実際のPL・PC・藩国・小笠原などとは一切関係ありませんのでご了承ください)



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“アスタシオンさん、意外と可愛かったですね”
“そですねー。不良少年みたいだった!”
“それわかる気がします!子供っぽいとこがいいですよね!”
“学園化とか、いいかも”
“わー、面白そう!”
“ふ、ふふ。ふふふふふ……”


小笠原帰り、花陵と星月の会話


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『アスタシオンが学校に行くようです』


ここはとある小笠原のとある分校、とある教室。「詩歌組」と書かれたクラスである。
まだ始業前なのか、学生達はめいめいにおしゃべりに興じている。
中には馬やらネズミやらもいる気がするが、宇宙人や未来人、超能力者がいる藩国もある。たいした問題ではないのであろう。


「よーしお前ら席につけー、出席をとるぞー」


そういって教室の扉を開けたのは、鋭い目つきに無精髭。トレードマークのイエロージャンバーの上から白衣を羽織った中年男、フランクヤガミであった。
犯罪者だったり銃ぶっ放したりで、教師と呼ぶにはいささか問題点がありすぎる人物ではあるが、まぁフィクションだし許されるだろう。


「さて。今日は出席をとる前に言っておくことがある。よろこべお前ら、転校生だ」


それを聞いたとたん、盛り上がり始める生徒達。
特に男子生徒の盛り上がり方はハンパではなかった。
立ち上がって叫び出す者、神に感謝する者、机から愛用のカメラを取り出す者等々、反応は様々である。
モヒカン頭の男子が代表してやたら嬉しそうに質問する。


「はい!はーい!先生、転校生って女の子ですよね!?」
「はっは。あいにく男だ。残念だったな」


そうして一気にテンションをダウンさせる男性陣。
しっぽもしおしおな勢いだったが、それらを華麗にスルーしてフランクは話を進める。


「おーい。入ってこい」


廊下に向かって声をかける。だが返事はおろか、人が入ってくる気配すらない。


「……聞こえてないのか?入ってこいって」


もう一度、今度はもう少し大きい声で呼びかける。しかし、相変わらず転校生が入ってくる様子はない。
ため息ひとつ、無造作に片腕を扉へ向けて突き出すフランク。
瞬きの間に腕がグロテスクな造形をした物体へと置き換わる。
生徒達がそれを「聖銃」だと認識するよりもはやく引き金を引く。
教室の扉が木っ端微塵に吹き飛ぶ。
もちろん転校生もまた吹き飛ばされているのだろう、と思いきや。


「殺す気か貴様!!」


そこには膝をつき、今の攻撃をどうにかやりすごしたアスタシオンがいた。どうやら転校生とは彼のことらしい。
弱っているとはいえ、それでも根源力10万以下くらいは殺せそうな視線でフランクを睨みつける。


「知るか。さっさと教室に入ってこないからだ、バカが」


それでもなお相手を見下すフランク。随分と人の悪い笑みを浮かべている。どうでもいいが、ヤガミとは思えない邪悪さである。


ゆらりと立ち上がったアスタシオン。ギリ、と歯を噛み締める。
ピンと張り詰めた糸のような雰囲気。クラスの生徒達の頭に嵐の前の静けさという言葉がよぎった。
そうしてふっ、と体中の力を抜くように倒れ込み――――
教室へ、正確にはフランクに向かって突進していった。


その手に剣を実体化させて襲い掛かる。
笑って応戦するフランク。なんだかんだいって戦闘中が一番輝いて見えるのは、教師としてはまずい気がしないでもない。
斬撃を聖銃で受ける。受け流してアスタシオンがたたらを踏んだ一瞬の隙をつき、窓から外へ脱出。
飛び散るガラス。誰かの悲鳴が響き渡った。


吹き飛ぶ教室。半壊する校舎。もうしっちゃかめっちゃかである。


「の、典子さん、生きてるー?」
「あー、はい、なんとか」


戦闘のあおりを受けて教室にいる連中のほとんどがグロッキーだったが、どうにか無事だった花陵と星月。
寄り添うようにして窓際へ向かうと、遠ざかっていく二人の男が目に入った。
悲しげな瞳で見つめる花陵。


「二人を止めなきゃ!」


弾けるように走り出す。星月もあわてて追いかける。
校舎の外で繰り広げられている戦いは、更に激しさを増していた。



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そこは、酷い有様だった。

幾度もの攻防ですっかり穴だらけになったグラウンドは、そこが長年続いた紛争地帯のど真ん中だと言われても信じられそうだ。


土煙がまい、視界が悪い中を二つの影が目まぐるしく動いている。
片方は剣の間合いまで詰めようと隙をうかがい、もう片方は寄らせまいと牽制の射撃を繰り返す。


アスタシオンとフランクであった。


戦いの最中、ついにフランクの放つ光弾のひとつがアスタシオンを捉える。
避けきれない。その一撃は心の臓へと正確に――――


爆発。土砂が巻き上がる。


油断なく銃口を向けるフランク。まだ戦いが終わっていないことを、彼は直感で感じ取っていた。
秋風が頬を撫ぜる。ずいぶんと冷たく感じるそれは、アスタシオンを包む煙のベールを払っていった。


「巌の盾か」


そこに現れたのは、巨大な円盾だった。
青白く輝くそれは空中で静止し、ただ無言で佇んでいる。
表面には幾何学的な紋様、精霊回路が刻まれている。
使い古された絶技だったが、こと聖銃から身を守るという点でいえば良い選択だ。
今の一撃を防いだことからもわかる通り、巌の盾はかなりの防御力を誇る。力任せに打ち貫くことも可能だったが、今の威力を抑えた連射モードでは無理だ。
動きを止め、腰を据えて渾身の一撃を見舞おうとしたその時、異変が起きた。


精霊が、大気が震えている。
周辺に存在していたリューンが一箇所に収束していく。
巌の盾の背後。姿は見えないものの、おそらくアスタシオンがいるであろう場所へと。


 異界にありて隔てられ 時において今はない
 だが遠くにありても風だけは今も故郷にある
 我が故郷の精霊達よ 故郷の風よ
 帝国を守れ 帝国の誇りを守れ
 偉大なる故郷の大地 緑の王の弟にして檜の我は嘆願す
 ここなるは故郷の土 ここもまた紫の帝国 永遠の落日の国
 我は大地と契約せり 一人の農夫
 地を耕し 万物の均衡を図りし一つの天秤
 古き盟約によりて 我は命の麦穂を刈りとるものなり
 生もて次に伝えたり!


他を威圧するように、力強く紡がれる祝詞。
だが朗々と歌われるその言葉には、どこか人を惹きつけるチカラがあった。



 完成せよ!! 双面の護り!!



二枚の盾が弧を描き、目にも留まらぬ速度でせまってくる。
いや、二枚だけではない。四枚、六枚、八枚。まだまだ増える。
これがアスタシオンの武楽器なのか、はたまた幻影なのか。
考えをめぐらす間にも攻撃はせまる。余裕はない。

射撃、射撃。間髪入れずに撃ち落とす。
縦横無尽に空を翔ける盾の群れを少しづづ削ってゆく。
あらゆる方向、角度から襲い来る盾を正確に打ち抜く。
前へ、後ろへ。上へ、下へ。死角へ入ろうとも関係ない。結局、盾がフランクへと届くことはなかった。だが。


最後の一枚を破壊し、フランクが微かに気を緩める。
銃口を下げようとしたところで『それ』にようやく気づき、目を見張る。
最後に破壊した盾の後ろに隠れ、接近を果たしていた敵の姿に。
上段にかまえて進撃してくるアスタシオン。迎え撃つフランク。
ついに決着かと思われたその時。



「だめーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」



二人の間に、文字通り飛び込んできた花陵。
アスタシオン、急停止。どうにかぶつからずにすんだ。
こうして花陵が二人の戦いを邪魔したのは二度目だ。前はフランクの策略だったが、今回は本人の意思で、である。
アスタシオンの目つきが険しくなる。かなり怒っている様子。
一瞬ひるんだ花陵だったが、怖くなんかないと自分に言い聞かせ、腕を広げてフランクを守ろうとする。


「またお前か。なぜ奴をかばう。一度はお前を殺そうとした相手だぞ!」
「友達だもの!」


アスタシオンの問いに、間髪入れずにそう答えた。
挑むような目でアスタシオンを見上げている。


「友達がいじめられてたら、助けるの、当たり前だよ。私は、痛いのヤだもの。自分がいやなこと、人にしちゃダメでしょ?それに……」


感情が高ぶってきたのか目端に涙が浮かんでいたが、どうにかこらえた。
今にも泣きそうだったけれど、すべてを伝え終わるまで、涙を流すわけにはいかなかった。


「アスタシオンさんが傷つくのも、私は嫌だよ……!」


しぼり出すように、どうにか声を出す。
震えて、掠れて、小さい声だったが。
それでも確かに心は届いた。


息をのみ、目を見開くアスタシオン。
まっすぐな視線を受けるのが辛くなったのか、目をそらす。
こんな答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。その顔には強い苦悩が浮かんでいた。


「ケンカ、だめ、だって……ふぇぇぇぇん……!!」
「お、おい。なぜ泣く!?おい!」


とうとうこらえきれなくなって、泣き出した花陵。
アスタシオンがそれに気づいてなだめにかかる。
もはや勝負どころではなかった。
少し離れたところで二人を見ていたフランクが、何やら思いついたように言った。


「よし。もうすこし面白くしてやるか」


その時彼の浮かべていた笑顔を見た者がいれば、こう答えていただろう。
まさしくあれは、芝村の微笑だったと――――


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昼休み。花陵と星月は屋上でランチをとっていた。フランクとアスタシオンも一緒である。


花陵と星月は笑顔である。特に花陵の方は満面の笑みと言える。
「みんなでお昼ご飯」ということが、嬉しいのだろう。
フランクもまぁ、笑顔ではある。ただ、その笑みが人を落し入れた快感に酔うものであるという違いはあったのが。
反面、不機嫌そうにあぐらをかいているのがアスタシオンである。
三人とは少し距離をとっており、背中を向けていることがその拒絶っぷりに拍車をかけている。


「なぜ俺が一緒に来なければならんのだ」
「黙れ負け犬。貴様は花陵に負けただろう。敗者が勝者に従うのは当然だ」


悠然とそう言い放つフランクをにらみつけながら、アスタシオンは先ほどのやりとりを思い出していた。


(花陵。アスタシオンがお前と昼飯を一緒にとりたいそうだ)
(誰がそんなことを言った。適当なことを)
(……うそ……?)
(な、泣くな!嘘じゃない!嘘じゃないから!)
(ほんと……?)


思い出しても腹が立つ。
あの眼鏡の聖銃使いとはいつか決着を、などとアスタシオンが物騒なことを考えていると花陵が近寄ってきた。


「はい!おいしいよー」


そう言って差し出されたのは、サンドイッチ。
病院で見たものと同じで、ベーコン、レタス、トマトを組み合わせたBLTサンドだ。
マヨネーズの香りが食欲をそそる。
アスタシオン、腹が減っていないわけではなかったが


「いらん。地べたすりと馴れ合うつもりはない」


ぷい、とそっぽを向く。
誇り高き緑の戦士が、そう簡単にほどこしをう受けるわけにはいかなかった。


「やっぱり……う、ふえぇっ」


再び涙ぐむ花陵。


「だから、泣くな!食べればいいんだろう、食べれば!」


引ったくるようにしてサンドイッチを一気に頬張る。
世の男達がみな女の涙に屈するように、アスタシオンもまた例外ではなかった。
ちょっと心配そうに、花陵がたずねる。


「おいしい?」
「む……まぁまぁだ」


ぶっきらぼうにそう言ったものの、これがどうしてなかなか美味かった。
料理のことはよくわからなかったが、どこか懐かしく、そして優しい気持ちにさせる味だった。もうひとつくらい、食べやってもいいような気がする。

「他にはもうないのか」


「! ううん、まだ、いーっぱいあるよ!」

そう言ってバスケットの中身を探る。



たとえるのなら、ヒマワリのような。
そんな暖かな笑顔が、花陵の顔には浮かんでいた。

清水魁斗のシジョウ


清水魁斗は畑仕事をしている。
本当は花を植えたかったのだが、寒さに負けて芽を出さなかったのである。


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詩歌藩国の整備士であった清水は、整備士ではなく孤児院の経営者になっていた。
本人曰く、夢だったそうだ。
幸いなことに詩歌藩国は戦地になったことがなく、国民にも被害が出ていない為、まだ自分しかいない孤児院を見ながら、壊れそうな笑顔を作る。


「誰もいないのは良い事なんだ。だから、願わくばこれからも誰も住人が増えないことを」


そう言って、日課となった畑仕事へ向かった。
本当は花を植えたかったのだが、寒さに負けて芽を出さなかったのである。
野菜もなかなか育たなかったが、それでも元気のいい芽を出してくれた。
芽を撫でながら、おいしくなれよと言い、一つ一つ手入れをしていく。手間がかかるが暇なのでちょうどいいのだった。


そんなある日、近々また大規模な戦闘があるらしいという噂を耳にした。
畑の調子を見た後、嫌な顔をして清水はエプロンを換えた。
愛用しているカエルのマークとフリフリのついたエプロンから、帝國の紋章がついた紋章エプロンへ…
「Tous Pour un、un Pour Tous 孤児はでないに越したことはない。それが例え他国だろうと。…出来れば敵の命も奪いたくは無いが」
整備士であった清水は、竜士隊隊員になっていた。理由は借金返済のためだったが、自分がいないところで誰かが戦死するのが嫌で、軍は抜けられずにいた。


宮廷へ向かう道の途中、そういえば俺の工具貰ってったやつも竜士隊になるんだろうかと銃士隊のジンクスを思い出して少し笑みがこぼれた。


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本当は花を植えたかったが、大丈夫。実をつける前には野菜も綺麗な花を咲かせてくれる。


執筆者:清水魁斗

朗報 (7)


_詩歌藩国領海外 海洋上 FVB発中型客船 甲板上


  空の端が、薄く紫色に染まり始めていた。未だ空の殆どがその色を濃紺から鮮やかな蒼に変えておらず、ぼんやりとシルエットを浮かばせる灰色の厚い雲がまっすぐに伸びていた。
  見渡す限り広がる海面は、夜の闇を思わせる漆黒だった。波立たせる魚群の姿もなく、海を渡る白いカモメ達の声もない。水の透明感も生命の息吹も感じさせない果てなく続くその海は、世界が静止しているかのように見たものを錯覚させる光景を作り上げていた。
  
  大海を独りひた走るその船に、陽光は注がれてはいない。
  白い筈の船体も、太陽の昇らない海上ではその姿を際立たせるには至らない。轟音を響かせるエンジン音と海面に立てる白波、そして影のような船体の黒い風貌だけがその船の存在を証明していた。
  船の後方上部から出ている随分小さな煙突から煙は出ておらず、側面にいくつか存在する窓には一つも明かりがついていない。船内を歩き回る人の姿も無かった。
  船の前方上部に備え付けられた大型のソナーが、ゆるやかな速度で回転している。船体を撫でる風に力は無く、身を切る程の冷たさもない。まるで船の白い壁面をよけていくかのように、洋上の潮風は船の存在を気にすることも無く気ままに流れていた。


  船首に近い甲板上、女性が一人仁王立ちをしていた。両手をそれぞれ腰に当てて、まっすぐ眼前に広がる黒い大海を見つめていた。
  女性というより女の子といった雰囲気を残したその人物は、若かった。短い白色の髪に、曇りのない真っ白な軍服。灰色の厚みの無い手袋と防寒ブーツ。陽光に映える森を髣髴とさせる碧色の瞳が形の良い眉の下にある両の目に収められている。整った色の白い顔には凛々しさを含んだ微笑を浮かべていた。
  「・・・思った以上に、早い帰国かな。帰ったら、何から話そう・・・」

  目に少しだけ懐かしさのような色が帯びて、誰とも無しにそうつぶやく。彼女の目に宿る表情は、漆黒の海原を眺める人間のものとは違っていた。
  「あー、ドランジさん。よかったなぁ・・持って帰りたかったなぁ・・・」
  さっきとは違う、危うげな目でそうつぶやく彼女の姿は傍から見て失笑を買いそうではあったが、本人はさっぱり気にしていない。


  なんとも筆舌し難い表情を浮かべた彼女を他所に、船は黒い海面を白い波で切り裂いていく。
  空の色が次第に明るさを増し、その色を鮮やかな蒼へと変えていく。船の外観も薄暗さを失い、本来の白さを取り戻しつつあった。
  水平線の彼方、空と海の境界が紅色を帯び始める。長く伸びる雲も、刻一刻と朝の姿へと変わっていく空に映え始める。直に、夜の闇を吸い込んだ海も、胎動する生命の溢れる豊穣の蒼へとその身にまとう色を変えていくだろう。
  幾度と無く繰り返されてきたその光景は、その時だけは、彼女の帰還を祝福しているかのようだった。



詩歌藩国西部 イリューシャ湾沿い中央部 


  太陽はすっかり天高く昇り切っていた。力強い陽光がその輪郭をぼやかす。どこまでも続く空は、どこをとっても均一な薄い青色だった。そして、その空には長く伸びた厚みのある雲が点在して浮かんでいた。
  吹き付ける程ではなく、心地よさを感じさせる軟らかい風が港の中をゆっくりと流れていく。地面は両脇を活気の満ちた店先で固めた長い繁華街の石畳から、港湾部のコンクリートで固められた姿へと変えていった。
  海岸には、白い帆が畳まれてマストに縛り付けられた小さな漁船が何隻も並んでいた。タンカーなどの大型船舶の姿は無く、その港はほぼ漁港と化していると言っても良かった。



  だが、繁華街を抜けてすぐの所に簡素な旅客ターミナルがあった。随分古めかしく、さほど外からの旅客者がいるわけではないことが一目で分かるような、小さな旅客ターミナルだった。厳しい入国チェックをする為の機材らしい物も無く、港から少し出るように伸ばされたコンクリートの陸地、その入り口の両脇に小さなプレハブ小屋が備え付けられている。その間にある鉄パイプを組んで作られた簡単なゲートだけがターミナルと国内を隔てていた。


  どこか港の中で居心地悪そうにポツンと存在するその旅客ターミナルの前に、十を超える人の群れがあった。その集団はどこかに歩を進めていく様子も無く、ただそこに立ち続けていた。往来のある繁華街から幾らか視線を集めていたが、当の本人達は気にする様子もなかった。その集団は各々賑やかに話しながら、時折その中の何人かがターミナルの方へと視線を移す。どうやら、今はしっかりと閉じられているそのターミナルの簡素なゲートから出てくるであろう誰かを待っているらしかった。


  「・・・・あー、だめだ。立っているだけなのに眩暈が・・・」


  港に降り注ぐ健康的な陽光に映える白いアフロの女性が、立ちながら目の下に隈の出来た顔を片手で覆って呟いた。
  年は若く、その集団の中では際立って目立つ服装の人物だった。色鮮やかな蒼い生地には銀糸で流水模様が刺繍されており、スカートは足首をすっぽりと覆うほどの長さがある。袖は二の腕の半ばまでしかなく、実に涼しげだった。街の景観や周囲の者達の服装から、彼女の身に着けたその衣服はどこか異国の民族衣装の物らしいことがわかる。


  「・・だめですよ経さん、ここで倒れちゃ。何のために徹夜してまで仕事に無理矢理一区切りつけたのかわかんなくなっちゃいますよ・・・・」
  団子のように白い髪を両脇に束ねた女性が、アフロの女性の呟きに答える。声には疲労が色濃く残っており、言い終わる頃には欠伸交じりだった。
  経の呟きに答えたその女性は、灰色の作業着で身を包み長い袖を肘の少し先あたりで折り返していた。作業着から見え隠れする肌の色は透き通るような白だったが、彼女の顔にも経のそれ同様くっきりと目の下に隈が出来ていた。


  「・・・・花陵さんの言うとおりだと、私も思います・・・」
  そう短く言ったのは、一人の男だった。
  色が少しだけ黒くなった白衣を羽織り、下には深い緑色のタートルネック。長く伸びた白い後ろ髪をゴムで束ね、前髪は男の目を完全に隠していた。
  おそらく普段ならば男の表情は窺いにくい筈だろうが、この時だけは違っていた。男の声からはもちろんだが、その顔の表面に浮かび上がったほんの僅かな表情からだけでも体に蓄積された莫大な疲労感が感じられた。見る者の目にはあるいは男の顔に縦線が何本か見えるかもしれない、そう錯覚させ得る程の雰囲気が男からは漂っていた。


  「・・・・・花陵さん、須藤さん。多分だけど、そう言う二人も今の私とおんなじ位顔色悪いと思うよ。自分の顔わかんないけど・・・・」
  経が二人の顔を輝きの失われた瞳で捉えながら、疲労感溢れた声でそう言う。


  「「・・・・やっぱり?」」
  随分間が空いて、須藤、花陵の声が重なった。



  「・・・そういえば、崎戸さんの姿が見えないな。伊能、そっちは何か聞いてないか?」


  僅かに生まれた日陰の所に置いてあったベンチに腰掛け、誰かに呼びかけるその若い男は白い髪を短くしており、癖があるのか髪は逆立っていた。通気性の良さそうな東洋風の着物と涼しげな綿製のハーフパンツ。色は上下共濃紺で、どこか犬を想像させる優しい顔付きとムダな筋肉のついていない細身のその男には良く似合っていた。


  「いや、何も。変だな、集まってる数から判断して知らせは届いているとは思うんだけどな・・・・」
  そう、呼びかけに答える声があった。理性的な印象を受ける、静かで落ち着いた男の声だった。


  声の主は、年の若い長身の男だった。長い白い髪を肩の超えた辺りまで伸ばし、前髪を眉の少し上で切りそろえている。どこか達観したかのような目付きをして、全身を藍色の宮廷服で包んでいる。そのせいか外見から判断できる年齢のわりに、随分と落ち着いた雰囲気を纏っていた。
  伊能と呼ばれた男は、呼びかけの主の隣に立ったまま首をかしげてそう親しげな口調で答える。頭上の遥か高い空の真上に浮かぶ太陽に照らされて、殆ど体に重なってその姿を路面に映さない影ができていた。


  「・・・にしても、最近俺お前のその格好しか見てない気がするんだが気のせいか?」
  そう、呆れと疑問のない交ぜになったような口調で言いながら上下濃紺のラフな格好をしたその人物は、手をヒラヒラと動かす。
  その仕草を横目で見た伊能は鈴藤の隣におもむろに腰を下ろした。伊能がベンチに座った瞬間、少しだけ鈍く軋む音がした。


  「・・・・それは鈴藤の気のせいだ。私だって一日中この格好でいるわけじゃない。・・・多分」
  話していく内に段々と語尾が小さくなっていく伊能の姿を流し目で眺めていた鈴藤は、視線を伊能から外し今度は呆れた表情を顔一杯に浮かべてため息をついた。


  陰る事を知らない力強い陽光が、コンクリートの地面を熱していく。だが、時折どこからか吹いて来る涼しげな風が時間と比例して蓄積された地面の熱を奪っていった。微かにだが、吹いてきた風のいくつかには潮の匂いが含まれていた。
  「・・・・忙しいのは、どこも一緒か。もしかすると、崎戸さんも仕事に追われてるのかも知れんな」
  「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。・・・でもまぁ、崎戸さんが来ることが出来ないということはよほど急な仕事なんだろうな」


  どこか独り言のようにも聞こえる、そんな呟きを漏らしながら二人はぼんやりと空を眺めていた。
  年の若い二人の男が、さっぱり若々しさの感じられない雰囲気を余すことなく纏うその光景にはのどかさを感じざるを得ない微笑ましさがあった。


  「・・・そういえば寅山さ「あの人の事は気にする必要はない、断じてない。」」
  思い出したかのように突然伊能の口にした言葉を、鈴藤の一切迷いのない声が完全に覆いかぶさった。その時の鈴藤の表情の変化は、まるで脊髄反射の如く正確かつ素早かった。
  そんな鈴藤の姿を横目で見て、伊能は含み笑いを浮かべながら軽いため息をついた。本当に軽い、ため息だった。



  それぞれ個性豊かな人間達で構成されたその集団から、少し後方の位置に男が二人立っていた。二人の立つ位置は、丁度路面が石畳からコンクリートへと変わる境目だった。その傍らには鉄製の街灯が立っており、灯りの燈っていないそれは今はただ街を彩るオブジェの一つとなっていた。


  一人は波打つ白くて長い髪が印象深い、絵に描いたような美男子だった。花陵の着るそれとほぼ同じ、汚れのない灰色の作業服に同じく灰色の鍔付き帽子。めくり上げられた袖からは筋肉質の肌白い腕が伸びており、男は片方の手首に巻かれた腕時計を一瞥する。
  「そろそろ、到着の頃か」
  そう、全身灰色の美男子が呟くと、
  「聞けば、怪我もしていないということだ。今日はゆっくりしてもらうとして、明日辺りに宴会かな」
  帽子を被った美男子の横に立つ、眼鏡をかけたもう一人の男が言った。伊能と同じように藍色の宮廷服を身に纏っており、短くした白い髪をねかせている。年は若く、どこか神経質そうな印象を受ける顔立ちだったが、その口調は実に男臭かった。


  「なんだ、俺はてっきり真昼間から宴会に雪崩れ込むとばっかり」
  「・・・・さすがにあの駒地さんでも、それは強行軍すぎるだろ」
  残念そうな口調でそう呟いた帽子と作業服姿の美男子を見て、宮廷服姿の男が苦笑した。そして、丁度その頃。



  「・・・・・よ、よかった。なんとか、間に合った、みたい。」


  二人の背後から、肩で息をする女性が一人歩いてきた。そこまで走ってきたらしく、天を仰ぎながら苦しそうに深呼吸を何度も何度も繰り返していた。ほんの少しだけ汗ばんだ肌白い額には、青みを帯びた白い前髪が僅かにくっついている。歩を進める度に胸と後ろ腰につけられたリボンが小さく上下に揺れて、青いエプロンドレスが力強い陽光の元でその色をより鮮明にしていた。伸ばした髪が肩の辺りでほんの少したるんでいて、ドレスの青色が髪の白さを際立たせていた。


  「本当に『なんとか』ですね、よくもまぁあの書類の山脈相手に制限時間付きで勝利できたものです」
  眼鏡を掛けた男が振り向きざまにその女性へと感嘆の言葉を漏らす。


  「ハッハー。星月をなめてはいかんですよ、竜宮さん。・・・それに、今回は強力な助っ人さんにお世話になりまして」
  上機嫌な声色から一転して、エプロンドレスの女性は随分丁寧な口調でそう続けた。


  「助っ人?」
  「・・・・あぁ、そういうことか」
  そして、竜宮とずっと押し黙っていたもう一方の男が正反対の返答をした。
  「・・・・あれ、何で清水さんリアクションが違うの?」
  竜宮が隣に立つ男の方を見ながらそう言うと、清水と呼ばれた灰色作業服の美男子は、
  「まぁ、あれだ。平たく言えば想像していたヤマが当たった、と言った所だ」
  「想像・・・?」
  そう呟いて怪訝そうに顔を眺める竜宮を横目に、清水はニヤリと歯を見せて笑い、言った。





  その十分後、一隻の小さな客船が、詩歌藩国の小さな旅客ターミナルに到着した。


執筆者:士具馬 鶏鶴

朗報 (6)


詩歌藩国政庁内 藩王執務室



  フックが押し戻される軽い金属音が、鳴った。
  黒い受話器から透き通るような白い手が離れる。紺色の長い袖が、腕の動きに合わせて小さく揺れた。
  机上に堂々と鎮座する電話機は、机の後ろにある大窓から入る陽光に照らされて黒光りしている。綺麗に積み上げられた書類の山だけは、椅子に座って机と向かい合う人物の影によって力強い陽光から遠ざけられていた。
  受話器をフックに戻した詩歌藩国藩王九音・詩歌は、満足そうに微笑んでいた。見る人が言葉を失うような、笑顔だった。
  そして、机の上で無造作に転がっていた万年筆へと手を伸ばす。キャップを外し、それを握りなおした九音・詩歌は、さっきとはまるで違う微笑みを浮かべていた。
  澄み切った空を宿した瞳は、力強い意思を持っている。挑戦的とも取れる優雅さを帯びた含み笑いを浮かべ、白い色の長くて細い指を巧みに操って万年筆をクルクルと回していた。
  「・・・よし」
  そう一言、短く言って指の動きを止めた。そして、書類との戦いを再開した。


  薄い青色の空には、厚みのない雲が無数に浮かんでいた。目に見える程の速さで、それらは滑るように空を横に流れていく。
  九音・詩歌の背をジリジリと照らす日の光が、太陽に雲がかかってその力強さを少しだけ失った。直にかかっていた雲は切れて、再び九音・詩歌の背を照らし始めた。だが、またすぐに違う雲が太陽の光を遮る。そんな繰り返しが、何度も何度も続いていった。
  何度も、何度も。



_詩歌藩国 情景



  詩歌藩国領土を四方から囲む大海は、憂いを帯びたかのような蒼を失い水平線へと沈み行く紅い太陽の色に染められている。波ひとつ立てない静かな海面は、磨き上げられた鏡のように空を映していた。
  空にはくっきりと陰影のある雲が浮かんでいる。大鷲が翼を雄々しく広げるかのように、その雲は夕焼けの空に伸びていた。
  詩歌藩国王都イリューシュアの南北を貫く形で伸びる一本の大河もまた、夕暮れの色へと変えられていく。緩やかに流れるラズライトラインの動きに合わせて陽光を反射し、眩い程の輝きを放っていた。
  島の西部を中心に広がる針葉樹の森もその濃緑色を失い、紅葉を思わせる程の一面透明感を持つ紅色だった。
  王都の背後にそびえたつ霊峰シュティオンと呼ばれる大山脈も、身にまとう万年雪を紅く染め上げ輝きを増していた。日中見せる藩国内でも一線を臥している厳格な姿とは違い、やや輪郭がぼやけたそれは日の入りの風景の一部となっていた。
  空を寂しげに浮かぶ蒼い浮遊島も夕暮れの光景に溶け込み、より一層孤立した様相を呈している。浮遊島西部の滝から流れ出る水の音だけが、その孤立感をかき消さんとするかのように派手な入水音を立てていた。
  詩歌藩国に点在する街にも、時が経つにつれて灯が燈る。規則的に並ぶ街灯、酒場から喧騒と供に漏れる活気ある明かり、工場内を煌々と照らす白に近い電光、そして家々から漏れる人の温かみを帯びた素朴な明かり。
  夜の到来に備える人々からは、昼間のそれとは違う活気があった。一日の営みの大半を終えた、安堵の供に姿を現すそんな活気が。
  刻一刻と歩を進め続ける時が、一瞬だけ立ち止まる瞬間。黄昏と呼ばれるそんな感覚的な時間の静止を、人々は感じていた。

  そう、ほんの一握りの存在を除いては。


詩歌藩国政庁内 摂政執務室


  「・・・・だめだ」
  まるで境界線があるかのように書類の山の有無で不均一に二分されたその部屋の中には、悲壮感漂う呻き声があった。
  声の主である年の若い女性は、書類の束が隅に積み重ねられた机の上につっぷしている。肩まで伸ばした薄い青色を帯びる白い髪は整えられており、寝癖もなかった。髪の間から見え隠れする首は細く、身に着ける青い制服や純白のエプロンドレスには皺ひとつ無い。後ろ腰と胸の辺りに付けられた大きなリボンも型崩れすることなくその華やかさを際立たせている。
彼女の後ろにある窓はオレンジから蒼、そして紫へとその色を変えていく空の一部を切り取っていた。重厚な造りのその木製机の机上には、書類の山が置かれている反対側に黒光りする電話機が鎮座している。
  伏せていた顔を上に上げてマリンブルーの瞳を大きな両目から覗かせながら、
「このペースだと、二日続けて徹夜を敢行しても明後日の昼までに間に合わない・・・よね・・・」
  ちらりと書類の山の無いほんのささやかな空間へと視線を移して、小さくため息をつく。およそその三倍以上の面積を占める書類の山へ恨めしそうな眼差しを投げつけて、
「・・・・援軍が必要、かな」
と呟く。
  つっぷしていた上半身を起こし、机の両端に備え付けられた一番下のキャスター付きの引き出しを手前に引く。中には表紙が上にしてファイルがびっしりと詰め込まれている。
  迷う様子もなくその内の一冊を取り出して、引き出しを押し戻す。彼女の手の中には、薄い緑色の辞書並に分厚いファイルがあった。元は鮮やかな緑色だったようだが、所々インクの黒点がついている。
  「・・さて・・・だれにしようか・・」
  思案顔で手に持ったまま空いたもう一方の手で軽やかにファイルのページをめくりながらそう呟くと、すぐに手が止まった。
分厚いファイルを開いたまま机の上におき、黒電話へと手を伸ばす。自身の手元にまで引っ張ってきて、受話器をフックから上げた。開いたページの一点を見ながら、ダイヤルを何度も回しつつ受話器を耳に当てた。


  しばらくの間、彼女はコードを指に絡ませながら相手が電話口に出てくるのを待っていた。表情は、やけに明るかった。歩き始めた幼児が、天使の様な笑顔を浮かべながらトテトテと歩いて行き、そして悪戯するようなそんな顔である。


  「・・・あ、こんばんは。崎戸さん?私、星月です。」
  電話口に相手が立ったらしく、自身を星月と名乗ったその女性は親しげにそう呼びかけた。
  「・・・摂政、どうなさったんですか?わざわざ直に電話をよこすなんて」
  受話器からは、愛想の無い低い硬質な声が聞こえてくる。そんな、硬さを残しながらもどこか人間味の感じられる崎戸の声を聞いて、星月はほんの少しだけ表情を硬くした。
  「実は、文族である崎戸さんに少し手伝っていただきたいお仕事がありまして」
  「・・・摂政に頼られたとあっては、断れませんね。そのお仕事、謹んでお受け致しましょう」
  星月の少々強張った声を聞いて、崎戸は即答した。その声には、微塵の迷いも無かった。
  崎戸の返答を聞き、星月の表情は元の天使の笑顔に戻る。声のトーンをひとつあげて、
  「そうですかっ、それは大変助かりますっ!本当にありがとうございますっ!」
  目の前の机上に堂々と鎮座する、黒い電話機へと何度も頭をさげながら言った。
  「それで、そのお仕事というのはどのようなものでしょうか?」
  「あぁ、それはですね・・・」


  そして、長い長い電話が、始まった。
  必要な書類をバサバサとかき集め、それらに視線をやりながら星月は話し続けた。時折、崎戸からの返答を聞く沈黙が訪れるが、それもすぐにかき消される。
  部屋にある唯一の窓は、既に夕暮れから夜へと移り終わった世界を映している。紫から紺へとその色を変える空には、早くも白く輝く点があった。
  ポツンと浮かぶその星は、夜空の闇に飲まれぬように、懸命に光を放つ。どこかで夜空を仰ぐ誰かの為に、一人じゃないよと言うがの如く。




  <追記>


  翌日、崎戸は机の上で目を覚ました。
部屋の中に漂う冷気に、小さく身を震わせる。
  先日摂政から掛かってきた電話は夜遅くまで続き、話終わった頃には日付が変わる1時間ほど前になっていた。大まかな説明や質疑が終わり、最後に駒地さん帰還の報を聞かされて随分はしゃいだ記憶がある。

  確か、祝杯だとか言いながら一本ウィスキーのボトルを空けたような・・・
  そんなことを考えながら辺りを見回すと、氷が解けた水の入ったグラスが机の上に置いてあった。床には、蓋が空いたままウィスキーのボトルが転がっていた。
  崎戸は椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。喉の奥から絞りだすかのような声をだし終えて、伸ばしていた両手を下に下げる。無造作に床に転がるそれを手に取り、机の上に置いた。


  部屋の窓から、朝もやで白く染まった外の景色が見えた。早朝の景色を眺めながら小さくため息を吐いた後、部屋のドアへと歩いていく。ドアノブをまわして、廊下に出る。
  短い廊下を抜けて、物の少ないリビングを素通りして玄関へと歩を進める。紺色のゴムで作られたスリッパを穿いて、ドアの鍵を開ける。
  ガチャンという音がしんと静まり返った玄関先に響く。冷え切った金属製のドアノブをしっかりと握り、右にまわした。


  ドアを押すと、身に染み入るような冷たい空気が崎戸の全身を包み込む。口から吐き出された息は白く、鼻の奥が少し痛い。
  そして、眼前に悠然と佇む青い紙に包まれた長方形の山を見て、目も痛くなった。
  セロハンテープで表面に貼り付けられた真っ白な紙には、
  「必要と思われる資料です。頑張ってくださいね。」
  とだけ、真っ黒な万年筆のインクで書かれていた。


  それを見て、詩歌藩国文族 崎戸剣二の戦いが、始まった。

朗報 (5)


_詩歌藩国東部ラズライトライン流域部  I=D整備工場内 


  工場内には、幾日目ぶりかに訪れた平常通りの作業音が響き渡っていた。

  先のFVB出兵を終えて故郷の地に帰ったトモエリバーはそのどれもが美しい流線型のフォルムを失い、整備士達は再びその姿を甦らせるべく尽力した。睡眠時間を限界にまで削り交代でとる仮眠すら間々ならず、食事すら作業の片手間に済ませられるようおにぎりやサンドイッチが整備士達の手には握られていた。
  平均作業時間20時間を突破した頃には疲労によって倒れる者が続出し、それらに怒号と供に気付けの一撃を見舞う整備班員の姿が整備工場内のいたるところで見られた。詰め所内にこじんまりと設置されたコーヒーメーカーのコンセントが抜かれることはなく、空になったコーヒーパックが詰め所のテーブルの上に山となって積まれていた。また、仮眠の際に睡眠薬を服用するものまで現れ、医療用品の入った救急箱からは軒並みその姿は消えていた。睡眠も、その時の彼らにとっては休養というよりも仕事になっていた。
  その惨状は、もはや阿鼻叫喚の坩堝そのものだった。
  だが、詩歌藩国の整備士達はその修羅の道を越えていった。



  そんな地獄さながらの毎日も嵐のように過ぎ去り今ではI=D整備工場も通常運行に移行していた。工場内を貫くベルトコンベアは緩やかに流れ、工場内に居る整備士達の姿もまばらだった。その代わりにコンピューターの制御下にある無数のアームがベルトコンベアに載って流れてくるトモエリバーへと伸ばされていく。等間隔で作業が進み、何一つとしてそのリズムを崩すものは無かった。


  工場上部の一面にずらりと取り付けられた窓ガラスからは、随分高くなった日の光が降り注いでいる。長方形に切り取られた空は蒼く、時折白い雲が流れてきた。その度に、力強い陽光が少しその勢いを失っていた。



_I=D整備工場内 談話室



  日頃疲れや眠気を吹き飛ばすべく整備士達が集まる整備工場内談話室は、静まり返っていた。部屋の一角を占領する三台の大型自販機に嗜好飲料を買い求める者は無く、売り切れを現す赤いランプはどの自販機にも点灯してはいなかった。内蔵された冷却機のモーター音が低く響き、人気のない部屋の中に一際その存在感を際立たせていた。部屋の中に点在するテーブルにも湯気のたった紙コップを啜る者の姿は無く、きっちりとイスがテーブルの下に収められている。部屋の唯一のドアも閉じられており、ドアの横の壁に設置されたクリーム色の電話機がけたたましいコール音を鳴り響かせる気配もない。壁に掛けられた円形の簡素な時計は音もなく秒針を滑らかに文字盤の上を走らせる。天井に埋め込まれた簡素な電灯が、普段の喧騒に包まれた時と同じ様に煌々と部屋の中を照らしていた。



  そんな部屋の中に、男がたった一人でソファーに体を預けていた。腰掛けるというよりも雪崩れ込んだという風にソファーの上で仰向けになって倒れている。足首から下がソファーの端から出ていた。
  整備士達が身に着ける作業着姿で、その所々には油の染みができていた。優雅に波打つ薄く青みがかった白い髪が、整った顔を程よい角度で覆っている。抜けるように白い肌が、電灯に照らされてより白さを増していた。眩しさを気にする様子もなく、軽く目を閉じている。疲労が溜まっているらしく、小さな寝息が漏れていた。
  本来不釣合いな筈のその人物の格好は、妙に似合っていた。見た人が感じるであろう違和感が、くたびれた作業着姿の彼からは微塵もなかった。さも、当然のごとく。


  部屋の壁に設置された電話機に、呼び出しを示す赤いランプが点滅する。そして間髪いれずに丸みのあるコール音が鳴り響いた。
  部屋を包んでいた心地よい静寂が破られた瞬間、ソファーの上で眠っていた人物の瞼が勢い良く開かれた。ガバッと身を起こし、はじかれるかの様に電話機へと飛びついた。息を整える間も無く、受話器を手に取り早口で言う。
  「はいこちらI=D整備工場内談話室の清水です。」
  清水と名乗る男は息を切らすこともなく、一連の流れをこなしていた。それは、何度も非常時という名の修羅場を抜けた者だけが見せる姿だった。
  「私です。連日の整備作業、お疲れ様でした。」
  受話器から聞こえてきた声は、男が良く知る人物のものだった。少なくとも、その柔らかな声音の持ち主を男は二人と知らなかった。
  「今回はさすがに疲れましたよ、藩王。私を含めた整備士連中は、完全にダウンです。でもまぁ、こっちには森さんも居ましたしなんとかなりましたけど。」
  嫌味のない明るい声で、清水は言った。そして、受話器の向こうからは少しだけ遅れて声が返ってきた。
  「・・・本当にお疲れ様。ありがとう、頑張ってくれて。」
  それを聞いて清水はどこか気恥ずかしそうに、
  「・・・・それで、どうしたんですか?わざわざこっちにまで直に電話を掛けるなんて」
  照れをごまかしながら言った。
  「いえ、昨晩・・というか今日の朝早くに良い知らせが入ってきましたので連絡のつく人にはお知らせしようと思いまして。」
  「良い知らせ?」
  先程より少しだけ口調が固くなった藩王の声を聞き、清水は聞き返す。
  「先のドランジ探索作戦の為一時脱藩していた駒地さんが明後日の昼頃に帰ってくるそうです。作戦は無事終了、駒地さんも怪我はないそうです。」
  「・・・そうですか、怪我はないですか。確かにそれは良い知らせです。そうですか、明後日のお昼頃ですか・・・」
  藩王からの知らせを聞き、体を壁に預けたまましみじみとした口調でそう漏らす。受話器を耳に当てた清水の表情は、優しかった。


  その時、部屋のドアがのろのろと開く。奥からは眠たそうに目をこすりながら、一人の男が現れた。
  年はまだ若く、清水と同じく所々油のしみが出来た作業服に身を包んだ若い男。短い白い髪には寝癖がつき、顔を見ると従順な小型犬を連想させる。めくり上げられた袖からは鍛え上げられた無駄の無い肉付きの腕が出ている。体が大きいというわけではなかったが、普段から鍛えているらしくがっしりとした体つきだった。


  「・・・?清水さん、電話どこからですか?・・・・」
  男が欠伸をしながら眠気と若さが入り混じったような声でそう言った。部屋の中で低いモーター音を響かせる自販機群へと進んでいき、作業着についている大きなポケットに右手を無造作に突っ込む。しばらく右手をゴソゴソと動かして、くすんだ銀色の硬貨をポケットから一枚取り出した。
  「あぁ、鈴藤さんおはよう。いや、藩王だよ。良い知らせがあったからってわざわざ連絡して下さったんだ。」
  清水は耳を受話器から外し、随分慣れた手つきで自販機の硬貨投入口に銀色のそれを入れて、悩む様子もなくボタンを押す男に言った。
  鈴藤と呼ばれた男は自販機から湯気のたった紙コップを取り出しながら、
  「良い知らせ?なんです、金一封でもくれたりするんですか?」
  清水の方へと顔を向けながら冗談めかしながら尋ねる。ゆっくりとコップの中身を啜り、幸せをたっぷり含んだため息を漏らした。
  鈴藤の返答を聞いてにやりと笑って、
  「残念、はずれ。もっと良い知らせだ、金なんかとは比べ物にはならんぞ」
  清水はじらすように言う。
  「・・・あぁ、すいません、藩王。たった今鈴藤が来まして。・・・・えぇ、これから伝えます。・・はい、分かりました。お電話ありがとうございました。それでは失礼します。」
  再び受話器へと話し相手を変えて、清水は短い会話をした後に受話器を元通りに置いた。


  清水の意味深な言葉を受けて鈴藤はしばらく考え込んだ後、真面目な顔で、言う。
  「・・・まさか森さんとのデー」
  「あぁ、うん、違う違う悪いがそれは無い。
  駒地さんが帰ってくるんだそうだ。任務も無事終了、怪我もなし。めでたい凱旋だな。」
  鈴藤の淡く脆い願望が言の葉になるのを完膚なきまでに叩き潰した清水は、明るい口調でそう告げる。
  一瞬膝から崩れ落ちそうになった鈴藤だったが、駒地という名を聞いて「く」の字に曲がった脚をまっすぐに伸ばす。表情には一点の曇りもない、見事な快晴だった。
  「・・・なるほど、たしかに比べ物にはならないな。そうか、怪我してないか。よかった・・・・」


  感慨深げにそう言うと、鈴藤は手近なイスを引いて腰を下ろした。視線をカップの中へと落として、黙り込む。
  そんな鈴藤の様子を、清水は眺めたりはしなかった。音もなくソファーへと腰を下ろし、視線を天井へと向けていた。


  そして、ふいに鈴藤がポツリとつぶやいた。
  「・・・無事で、よかった」と。