明治12年の北足立郡の(蕨、さいたま市)地図をもらいました。
地図は、嫌いではありません。
明治12年は、西暦で言うと、1880年です。
129年前の地図です。
この地図の左上から右下へ、ピンク色でなぞった線があります。
ただし書きを読むと、中仙道鉄道と読めます。
まだ、線路がしかれる前の道路のような状態みたいです。
また、左上から、右下真ん中に走る青い線がみえますが、これは、中仙道です。
左上が、浦和驛と読めます。電車の駅の字ではありません。
真ん中の宿場は、蕨驛と読めます。
この駅も電車の駅の字ではなくて、宿場の驛のようです。
中仙道よりに線路を作るのを宿場町の人達が反対して、相当離れた田ん
ぼの真ん中を汽車が走るようになったようです。鉄道が走ると、どうい
う状況になるか、誰も想像がつかなかったようです。
浦和驛よりも、蕨驛のほうが、建物が立て込んでいるように見えます。
そして、一番気にかかったのが下のほうに見える川の形です。
荒川のようです。すでに橋は、あります。昔は戸田の渡しで有名だった
らしいですが、この時代には、橋が架かっていたようです。
今の地図をご覧下さい。
かなり滑らかです。古地図のほうは、下のほうに折れ曲がり、また浮き
上がるように折れ曲がって、川口のほうへ下っています。
インターネットで荒川の歴史という項目がありました。
それによると、明治43年の大洪水により、明治政府が、大工事をする
ことになったそうです。
大正2年から、昭和5年までかかったそうです。
平成になっても、彩湖という遊水池がつくられています。
それ以降、大洪水は、起こっていませんが、戦後も多少の氾濫は、
あったようです。
荒川は、昔から、たいへんな暴れ川だったようです。
知りませんでした。荒川は、古利根川といった時代があったようです。
秩父から流れ出した荒川の源流を熊谷の下流で入間川にくっつけたおか
げで、灌漑ができ、田や畑がうるおったようです。またその結果、氾濫
も多くおこったようです。


