古代の歴史を求めながら


どの伝えを
中心にしたとしても


それは頭とそれに繋がる骨まででしかない、
ってやっと気づいた。


その語る土台の他に

同じ空間に層が重なり合うように

たくさんの


肉や血となる

別の視点の
別の歴史を持つ
別の生を生きてきた
集まりがある。



歴史の中で

同じ氏族ですとうまく組み込まれたり

逆に消されたり、

何十代も続いた同じ役職を
1人の人間としてまとめたり、



物語は
どれを土台にしても
変わるわけで


一つに固執できない。


でも知るよしもない10000年前から
この国でどのような流れがあって
私たちがいるかを
追うことができる。


驚くことに

全て大陸輸入で
遅れた未開の地と教わったケド、

全然そんなことなくて
今ではできない
工夫を重ねて生活してる人々の姿に
感動するしかない。



自分で手探りでのぞく
縄文の旅は
濃厚で、



これは
なんて明快に書いてるのだろうと
感心したり、

うまくスルーしすぎだ、とか

一つに傾倒していたところから

いくつもいくつも視界が変わる。




どれかだけじゃダメで

一緒に読み出したから
見え出したこと。


ここ違うな、ここの解釈は??

って自分で引っかかるから
不可思議に思うところが出てきて
より考えることになるわけだから。


よけいに沼にハマってしまったけれど、

…非常に大変だケド、
面白い^^✨






絲豐流
sihor