絶やす事無く

僕の心に 灯されていた

優しい明りは あなたがくれた

理由なき愛のあかし

 

柔らかな日だまりが包む背中に

ポツリ話しかけながら

いつかこんな日が来る事も

きっと きっと きっと

わかってたはずなのに

 

蕾 / コブクロ

 

 

2023,5,20土 曇りと霧雨と少し晴れ

 

今日は美容院に行って

帰ってきたら夫と息子たちが寝ていたので

 

衣替えをしながら

ap bank fes'08のDVDを

 

ひっさしぶりにつけました。

 

 

そしたらこの曲が流れてきてね

 

「あ、これ自分のお母さんを想って書いたって

 何かで聞いたことがあるな」って思いながら

 

改めてじっくり聴いてしまったら

 

 

 

もうだめでした。

 

 

 

昨日のあの投稿は何だったのえーん

 

自分が当たり前に人を愛せたり

人にやさしくできたり 人に感謝できるのって

当たり前のことじゃないんだなって

 

あれもこれもそれもどれも

自分が産まれてから

大人たちから教わって体得してきたんだな

 

あったかくて優しい気持ちは

誰かからもらった

 

「理由なき愛の証」

 

なんだなって思ったよ。

 

 

今日も長男は何度も何度も

おばあちゃんの話をしていて

実家に寄った時も

おじいちゃんの写真と並んでしまったおばあちゃんに

 

「おはよう」って言ってたし

 

もう夜だねって話していたら

 

「もうおばあちゃんは寝ちゃったかな?」

 

って言ってた。

おばあちゃんは寝るの早かったから

もう寝ちゃってると思うなって言ったんだよ。

 

 

クローバー

 

入院して

特別面会の許可が下りて

私は結局最期の日を入れて5回行ったのかな?

 

最初は

お父さんと姉と従兄妹と四人で

 

お母さんと二人で

 

おばちゃんと従兄弟と三人で

 

家族はみんな来て良いですよって言われた水曜日

 

そして急いできてくださいって言われた日曜日

 

 

最初に行った日は

ビックリするくらい強い力で

右手を握り返してくれたよね

 

わかる?っていうと頷いて

私は手をさすって握ることしかできなかった

部屋を出る前にまた来るからねっていうと

手を放して低く「ばいばい」してくれたよね

 

でもそこからどんどん浮腫んでしまったのと

点滴を外してしまうからってミトンを付けられて

もう手を握ることすらできなくなってしまった

 

散り際に もう一度

開く花びらは あなたのように

聴こえない 頑張れを

握った両手に 何度もくれた

 

↑この歌詞を

昔からちゃんと口ずさめたんだけど

 

今日また違う解釈が生まれてしまって

 

「おばあちゃん頑張ってるもんね」

「私も頑張るね」 って

 

お見舞いで何度も伝えたけど

 

いつもおばあちゃんは私に

「負けるな がんばれ」って言ってくれたから

 

苦労してゴツゴツした大きな手

力強くて 私のことを包み込んでくれる手

私の大好きなおばあちゃんの手 と

握り返してくれた感触はずっと忘れないよ

 

当たり前だけど

もう会えないんだって

 

こんな時にも気づかされる

 

 

でも

こういう瞬間にも

人の言葉を借りて

自分がいかに愛されてきたか

支えてもらってきたか

そういう「贈り物」にも気づかされる

 

 

おばあちゃん、まだやりたいことも

こういう最期を迎えたかったとかも

沢山 いろいろ あったよね

悔しいね。

 

 

どうしてもここにたどり着いてしまう

 

自分の最期の日がいつかわからないけど

思うようにはいかないんだなって思う

 

 

良い気持ちと

良くない気持ちが

ごっちゃごちゃになるよ

 

 

おばあちゃんが今ここにいてくれたら

何ていうかな?

 

滅茶滅茶怒った時のあの感じで

「良いも悪いもへったくれもありゃしないよ!」とか

言ってくれたら良いのに

 

いつもみたいに

我慢して「おばあちゃんは大丈夫だよ」とか言ったり

 

逆に気持ちが落ち込んでて

「おばあちゃんはもうおじいちゃんのところに行きたい」

とか言われちゃったら

 

やっぱりとっても悲しいなぁ

 

 

 

 

人ってどの位経てば

こういう気持ちが落ち着いていくのかしら

 

忙しさに紛れるだけで

全然消えてなくならないのかな

 

焦っても仕方ないんだけど

 

結構つらいね

 

当たり前か。