「山月記」を読む | sigesugasonのブログ

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無職、わずかな年金で生活します。社会のため、自分のため、と働きにでる高齢者が多いですが、ロビンソンクルーソーのように、自立した老後活動をめざします。

 

 

 

中島敦「山月記」は、中国に出没したという人食い虎のことを元にして著した小説と言われている。学校教科書・現代国語にずっと採用されている作品でもある。
内容はこうだ。
主人公は学業優秀だったが、性格に癖があり誰とでも打ち解けるものではなかった。首尾よく官吏に登用されたが、コミュニケーション不足が災いして低い評価を得るばかりだった。自らも、役人としてやっていくよりか、文学で身をたて、芸術家として後世に名を残す方が、どれだけ価値のあることかと、そんな人生を憧れるようになった。
 そして、家族に相談もせず、潔く職を辞して、生活のすべてを創作にささげることにした。
始めこそ矢継早に作品を出したが、そこそこの評価は得られても、決定的なものはなく、意欲も減退していった。貯金も底をつき、貧窮をさ迷うばかりであった。食べていく為やむを得ず、周囲のお情けにすがり役人に復職することができた。
 かつて歯牙にもかけなかった同僚たちが、遥かかなたの地位にいて、彼らに深々と頭を下げなければならないことが面白くなかった。
そんなある日、とうとう発狂してしまった。じっとしていられず、疾走し、雑木林に踏み入った。体に毛が生え、爪が生え、四足で地面を蹴っているのだった。たまたま見つけたウサギをその鋭い爪でひっつかみ、口に加えたとき、いうに言われぬ快感に満たされた。
 その日を境に、一人の厭世的な役人は、行方不明となり、残された家族は途方にくれるばかりだった。ほぼ時を同じくして近隣に、人を襲う虎が出没するという事件が相ついだ。
 この噂を聞きつけ、唯一の親友だった幼馴染が、敢えて部下を率いてその領域に踏み込もうとする。夕暮れ時、役人一行が列をなして進んでいると、果たして藪の中から、恐ろしいほどの速さで獣が現れ、刃向ってくるとおもいきや、そのまま藪の中へと押し入ってしまった。
 反撃しようとする一行を引き留め、身構えていると、「あやうく襲うところだった。」と見覚えのある声がした。まぎれもなく失踪した友の声だった。藪の中の声は、虎になった経緯を語りだした。
 役人の頃、周囲に偉ぶっているという噂を立てられてどれだけ心傷ついていたか。ただ、自分は口下手で、思いを伝えるべき場面に遭遇しても滑らかに言葉が出ず、どもりそうで、言葉にできなかったのだ。相談しようにも、恥ずかしさから誰にも相談できなかった。よくない噂が先走ってしまい毎日が苦痛だった。ストレスが募り、四苦八苦しているうち、何かが心の中ではじけ、気が付いたら今のような姿になってしまった・・。
 語る声は一時途切れ、すすり泣きが続いた。
 もう世間に戻ることもできないので、家族に夜露のように消え去ったと伝えてくれ。そう言うなり、声の主は即座にその場から離れていった。小高い丘に、小さな姿が踊って、月に向かって吠えたかと思うと、そのまま姿を消し、二度と出没することもなく、人を襲うという被害も報告されなかった。
 高校の頃は、あり得ない奇妙奇天烈な話だと思ったが、わが身のぶざまな人生をたとえているような箇所も随所に見られ、生涯手放せぬ小説のひとつとなってしまった。
 けれど、作品のこれほど長寿なことをみると、不器用に生きている人々に支持されていて、重苦しい人生をたどらざるをえなかった人々の少なくないことにも思いをはせてしまう。
 皆さんにも、今一度高校教科書を手にとり原文にあたってほしいと望むしだい。