ザ・ダイナミックゴルフ倶楽部 | ゴルフ場探訪記 in 福島

ゴルフ場探訪記 in 福島

震災と原発事故で大きな打撃を受けた福島県のゴルフ場、様々な歩みを体験リポートする。

ザ・ダイナミックゴルフ倶楽部

福島県白河市の東部にある。東北自動車道であれば白河ICから車でおよそ15分。

キャッチフレーズは「白河の雄大な自然の中、充実施設が堪能できる」とある。

2013年8月12日、真夏の日差しが照りつける。猛暑のラウンドとなった。


到着してまず印象に残ったのは広々としたクラブハウスに、ゴルフ場が視界いっぱいに広がっていることだ。目の前の大きな池が広がる緑にアクセントを加えている。この奥にどんなコースが広がっているのか挑戦意欲を掻き立てる。


ダイナ・全景

広大な敷地37万坪を確保していると自慢するだけの景観があるとまずは思わせてくれる。

まずはコーヒーを飲み、心を落ち着かせて、コースに挑むことにした。


ダイナ・クラブハウス

ティーグラウンドが4か所に設けられているのは、それぞれのレベルに合わせてプレーできるようにとの配慮という。


ダイナ・コース

しかし、コースに一歩踏み入れると、簡単に攻略できるのではといった思いはすぐに消え失せた。

広大な土地とはいうが、ティショットのぶれを許してくれるような寛容さはこのコースにはない。

落としどころ、距離感を身につけていないと、スコアをまとめることは難しい。

特にインコースは池が配置されたホールが随所にあり、安全策でいくか、強気でいくか、迷いが生まれる。その日の状態にも左右される。

強気の巨匠はここ一番のショットが思うようならず波に乗れない。


この日の巨匠                    
四雅羅三舎のブログ-ダイナミック 巨匠
一方、名人は絶妙のアプローチ、次々とピンそばのよせる。まるで体の中にメジャーが仕込まれているようだ。巨匠、粋人の目の前でずばずばとカップインさせる姿は偉大に見える。ティーショットもぶれない。ゴルフとは飛ばすことに非ず、正確であることであるという言葉が身に染みる。このままいけば80台の前半、あわよくば70台も視野にいれる名人ではあった。


この日の名人

四雅羅三舎のブログ-ダイナミック 名人


この日は猛暑の真っただ中。真夏の日差しが肌を焼き、体の中の水分が蒸発していくような天気である。次第にスタミナが奪われて、知らず知らずのうちに体の切れが失われる。

後半のインコースは全体的にフラットで圧迫感はない。敷地の広さを感じさせるが、ホールごとのロケーションはまるで異なる。好調の名人はスタミナ切れか、ミスが出る。

福島県オープンやPGA資格認定プロテストの会場にもなるコースだけにそれにふさわしい結果を

残そうと挑んだが、簡単に壁に跳ね返されてしまった。

ゴルフには「こそ」がつきものである。

「今日こそは」「次のホールこそは」「後半こそは」、そして「次回こそは」で締めくくる。

「こそ」は意欲を掻き立てるカンフル剤である一方、言い訳を正当化するよき精神安定剤でもある。

ゴルフはミスの責任を誰かに押し付けることのできないスポーツである。それ故にどんな結果で

あろうとも自ら背負わなければならない。そんな時、「こそ」はなんと便利な言葉であろう。

今回もまた、「こそ」をたくさん抱えて家路につくことになった。


ザ・ダイナミックゴルフ倶楽部は1992年9月にオープンした。開設したのは長生興産だった。長生興産は千葉県にあり、魚介類の養殖やゴルフ練習場やゴルフ場の経営を目的に1969年に設立された。

養殖業は1974年に廃業したが、ザ・ダイナミックゴルフクラブとゴルフ練習場3か所を経営していた。

しかし、景気の低迷と利用客の減少に加え、預託金の返還も始まって、資金繰りのめどが立たない状況に追い込まれた。

2003年、東京地裁に民事再生手続きを申請、2006年10月に再生計画が承認され株式会社 福郷によって再生への道を歩むことになった。

ゴルフ場の歴史にその時々の世相がにじみ出ていることを感じざる得ない。


●その後の「ザ・ダイナミック」

2015年4月20日

ゴルフ場を運営していた「福郷」は2015年4月東京地裁に破産申請し、手続きの開始決定を受けた。

東日本大震災と東京電力第一電発事故の影響で来場者が減少、その後も客足が戻らなかったのが原因だった。

2003年現在の商号に変更して業績回復に取り組んだが原発事故による風評被害の影響で県外からの来場者は減少、窮地に陥ってていた。