父の本棚のところに桐箱に入った湯呑みがあったんです。
どなたかの出版記念でいただいた記念品らしく、父の生前からずっとそこに置かれていました。
そこにあると正直言って邪魔なのですが、寿司屋の湯呑みくらいあるそれは箱から出して普段使いにするには実際大きすぎます。
なので考えた末、母に頼んで地域の文化祭のバザーに出してもらうことにしました。
箱ごと受付に持って行くと、担当の方がたまたま目利きの人だったらしく、
「えっ、こんな高級品、出しちゃっていいんですか!?」
と何度も確認されたとの事。なんか薩摩焼の名工の手による逸品だったそうです。
…………そうだったのか。
そう言われるとなんか急に惜しくなって後悔し始める私。一方母は、
「どうせいらないモノだったんだし、価値のわからない人にただもらわれていくより、
よかったんじゃない?」
と言うのですが、手放してしまった今更、誰の何という作品だったのか調べる術もなく、何ともスッキリしない心境なのです。こういう時、ただ『不要品が片付いただけ』と割れきれない自分がミニマリストになるには、まだまだ長い道のりを歩んでいくしかないのだと実感する出来事でした。