8月29日難波屋ライヴ アンチェイン梶さん 寸足らずの男

2日間、水しか喉を通していなかった。

14歳の俺は、殆ど手ぶら状態で、千葉駅周辺で腹を空かせ歩いていた。
ハードコアバンドの先輩に、つぼ八で酒とつまみを奢って貰ったのが、
二日前。

それが、最後の晩餐だった。

ポケットの中には、コインすら残されていない。
盗みや、食い逃げを行う事すら、抵抗が無い程、
育ち盛りの俺は、空腹に溢れていた。
だが、そんな気力すら薄れる程の空腹が襲いかかる。

夜になれば、近辺のライブハウス、ダイナマイトコックやルックに行けば、
知り合いが何か食べさせてくれるであろう・・・・・

何故ここまで、餓えた状態に追い込まれたか?

ハードコアの先輩と、闇金融屋、悪徳紹介屋の事務所を襲い、
金を争奪する事がこの頃の生業であった。
だが、最近、仲間がその業者の後ろ盾している、
組関係と揉めて、凌ぎも中止状態になっていた。

それに当時14歳、一般的に中学生。履歴書や身分書が必要な仕事は、
ご存じの様に、法で禁じられており、働きたくても、働けないのが、
現状でもあった。

寝かされたモヒカン頭に、安全靴の紐をきつく締め、
パルコ前の公園で座ったまま、日が暮れるのを待ち構えていた。

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そのタイミングで男が声をかけて来たのだ。

「兄ちゃん、仕事あるよ!!飯と宿も付いて1万出すよ」

今では、胡散臭い勧誘と分っているが、
14歳の俺には、神の救いとも呼べる程であった。

「今、何か食わせてくれたら、オッサン所で働くよ」

男は、近くの食堂に俺を連行し、
サンマ塩焼き、トンカツ、生姜焼き、鯖ミソ
ビールまで飲ませてくれたのを憶えている。

本当に生き返った!!
やはり、人間の活力は、飯を食う事から始まる!!
(手配師の手口とは、薄々感じていたが、どうでも良かった)

その後、男にワゴン車に乗せられ、
千葉の中心部から、房総半島へ下って行く。

千葉が地元では無い、俺でさえ、あの当時の房総は何も無い、
山と畑と海しか無い街と分っていた。

二時間以上、山道に揺られ、手配師の運転するワゴン車に乗り辿り着いたのが、
飯場と呼ばれる工事現場の作業場であった。

通称(タコ部屋)と呼ばれる人里離れた工事現場である。
大阪の西成で馴染みだったので、タコ部屋に違和感は無かったが・・・・・

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当時の房総周辺は、現在の様に道路も開発されておらず、
山を削り道路を作ったり、
何年か先に計画していた、川崎から木更津まで、海を潜り結ばれる道路、
アクアラインの工事で猫の手も借りたい状態であった。

だが、時代はバブル全盛期!!
誰も好き好んでこんな、山奥の現場で働く奴など存在しない。

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寝る場所は、男数人が雑魚寝。
漫画(カイジ)や、ちばてつやの(男たち)の世界まんまの、
タコ部屋がそこには存在した。

皆、借金に追われた者や、事件を起し逃亡中の者、
事情を抱えた男ばかりがそこに、集った。

現場が終わり、夜になれば、
花札や、チンチロリン、トランプのギャンブルが始まり、
更に借金が増えて、3年近く、このタコ部屋に住んでるという男も居た。

朝は6時に叩き起こされ、夜の6時位まで、働かされる。
田舎で電気設備が不自由だから、日が出てる時が労働時間であったが、
これで、電気が通っていたら、もっと働かされていたであろう。

大体、俺の仕事は、道路工事で出たゴミをがら袋に詰めて、
ひたすら、それをトラックに積むという、作業であった。

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名目は三食付きであったが、
朝は、干からびた食パンや、コッペパン。
昼は、何処で仕入れたか不明の、ボソボソの弁当。
夜の飯場の飯がまたまずい(笑)

一応、厨房みたいな所があり、調理担当みたいな人がいるのだが・・・

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臭いカス汁がメインで、それをボソボソの飯にかけて食う。
本当に、鼻に染み付く位、臭いカス汁だった。
判別が付かない、魚と、菜っ葉、こんにゃくばかり入った、
カス汁・・・・未だこの強烈な味は忘れる事が出来ない。

これなら、官(刑務所)で出る飯の方が数倍旨い!!
と刑務所帰りの男が言っていた。

ビールや、日本酒(ワンカップ)は1本、千円!!
これは、飲んだぶん、給与から差し引かれるのだが、
誘惑に負けて飲んでしまうと、
5杯飲んだだけで、日当の半分奪われる羽目になる。
軍手も作業着、風呂場で使う石鹸やシャンプーまで、
給与天引きで、買わされるシステムである。

タバコも1箱500円。(200円で買える時代)
タバコだけは、辞められない俺は仕方無く、
ハイライトを毎日500円で購入した。


とにかく、ここから、逃げ出す事だ!!
本気でそう思った。

だが・・・・・

逃亡を見込んで、日払いで、給与は絶対渡さない。
月払いで、給与は支給されるのだ!!
それ所か、わざと、ギャンブルに巻き込み、
借金を作らされて、タコ部屋から出れなくするのが、
ここの目的であった。

その手は、食わなかった!!
ギャンブルに誘われても、ひたすら無視して、
太宰治の本を読んでいた。

中には、新入りの、そんな態度が気に入らないのか、
絡んで来る奴もいたが、やり返すだけの話だ。

現場や、飯場は殴り合いも日常に起きる場所であった。
素手なら良いが、ツルハシやスコップを振り回す輩も、
居るので太刀が悪い。
だが、その手なら、当時から得意としていた。
(どんな特技や)

結局、10日程、休みなしで働かされた。
雨の日は作業中止になると聞いていたが、
その時期は何故か殆ど、雨など降らず・・・・・・

ひたすら、ガラ袋を朝から、晩までトラックに運ぶ毎日であった。

次の土曜日に、当時のバンドのライブが入っている事を思い出した。
だが、その日も仕事で休ませてくれないと現場監督は言う。

いい加減、頭に来た俺は、現場監督と喧嘩し、
今までの給与を無理やり、取って、
汚いタコ部屋から脱出した。

だが、千葉の人里離れた山奥!
携帯電話など、まだ金持ちでしか持てなかった時代。
どう、娑婆(市街地)に戻るかが先決。

何とか、県道らしき、街まで歩いた。
公衆電話から、仲間に電話し、房総までバイクで迎えに来て貰い、
タコ部屋を無事脱出!!

僅か、2週間程の出来事であったが、
タコ部屋を経験した話を今日はさせて貰った!!

マグロ漁船と、タコ部屋と、刑務所だけは、
何があっても行くな!!
と言われていた時代の話だ。
(今でもそうか)

今日のナンバー!!日本のトムウェイツ!!
踊ろうマチルダ!!



様々な経験をステップにして、前に飛び出そう!!
タコ部屋はゴメンだが(笑)