何年前かの新聞に、尾池和夫先生のお話が掲載されていました。



最近さまざまの場面で安全・安心ということばが並べて使われる。しかし、安全とは、たとえば、警備会社が事業として提供できるものであり、あるいは行政の対象となる概念であるのに対して、安心は市民が感じとる概念であり、二つを単純には並べられない。安全と安心との間にはさらに信頼という概念の存在も必要だと思う。
安全、信頼、安心ということの背景には、知る、怖がるということがあると思う。
(寺田寅彦「小爆発二件」というエッセーの中で)寺田寅彦は、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」と述べている。

「正当にこわがる」ためには、対象についての豊富な知識と判断力を持つことが肝心である。わたしの専門の場合には、プレート境界や活断層で大地震が起きるしくみを、また大津波の発生のしくみと伝えることが大切だと思って工夫をかさねている。
とお話をされてました。





あと一か月すぎると東日本大震災も1年が過ぎようとしています。
岩手三陸地方には、「津波てんでんこ」といわれる言葉があります。
その意味は、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、というものです。
なぜ釜石市の子どもたちのが多くが助かったのかは、防災教育をすることで知識を得て、地震発生の時は、自らの判断で動いたからと言われています。
そして昼間のことでしたから、家族は一緒にいることもなく、みんなが高台に逃げていると信じ、避難をするれば、家族にまた会えるという信頼があったからではないでしょうか。



しかしこれが夜間だったらどうなっていたでしょうか。私は、前々から10万人を超える最悪なかつてのない自然災害になると言って来ました。



私はそのときこそがこの「津波てんでんこ」の言葉が生かされると考えてたからです。



私たちは、過去の経験を忘れがちな人間なのです。津波が来るかも知れないのに海抜の低い場所に家を建て、商売をして来たのです。先祖代々から言い伝えがあったにもかかわらずにです。明治や昭和の津波は夜に発生しているのです。暗い夜道を高齢者、障がい者と移動するのは大変なものです。その時に一緒に避難していたら津波にのみ込まれてしまうこともあるのです。特に夜ですから、車で避難しようと考える方が多くなりがちで、これもまた危険にさらされるのです。
そして、今回の大震災では、高齢化社会の影響もあって、彼らを助けるために亡くなってしまった方々も大勢います。




私がこの夜間に発生した時の危険性を考えたのは、北海道南西沖地震です。奥尻島に津波が発生し、多くの家が津波に流され、火災も発生し、逃げ遅れて亡くなった方もいると聞いたからです。
そしてここから想像して考えたからです。




これからの復興に、また今後もどこかで発生する地震に対して正当に怖がりを持っていくべきです。
しっかりとした豊富な知識と判断によって、また、行政と市民の信頼関係に基づいて安全と安心した街つくりをして欲しいです。
そして高齢化社会に合わした地域計画をして、あらゆる災害弱者の方々が津波で避難しないような場所に建てたり、地震で倒れないようにあらゆる防災、減災するように備えていかなければならないのです。
私たちは今後、津波を受けないためにも引っ越しをすることも検討していかなければならないでしょう。