小さくても戦国の人気大名に関わるエピソードが残る城跡   大高城跡を訪ねる | 名宝を訪ねる ~日本の宝 『文化財』~
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6月、仕事の都合で1ヶ月ほど愛知県に滞在していました。

コロナ禍が落ち着いて自粛要請も解除されたので、休みを利用して愛知県の文化財をいくつか訪ねました。

 

まずはこちら…。

 

愛知県といえば名古屋城や犬山城などの有名な城郭があります。

しかし私は、以前から名古屋市緑区にある「大高城跡」が気になっていました。

 

なぜなら、あまり聞いたことがない小さな城だったから。

今までの城跡探索の経験からすると、こういった城の方が土塁や堀跡がしっかり残っていて見ごたえがあることが多いです。

 

大高城跡 遠望(JR大高駅方向から)

 

それに、大高城跡は国指定史跡ですが、鷲津砦跡・丸根砦跡といった付近の城跡も附指定されているから。

ここは三河国と尾張国の境に近いし、出城(当初はそう思っていました。)まで指定されているとは、縄張りとか結構しっかり残ってるのでは?

なんてワクワクしていました。

 

そんな訳でとにかく、大高城へ行ってみました。

 

JR東海道線の大高駅を出て駅前から西へ向かって歩き始めます。10分ほど歩くと小高い丘が見えてきました。

 

それが目指す大高城跡です。

 

大高城 登城口

 

登城口は何の変哲もない、農道のような道が続いてます。

左手の広い空き地は、堀跡?腰郭?よくわかりません。

 

大高城跡 石碑

 

この道は本丸へ続いているようで、坂の途中に「史跡 大高城跡」の石碑がありました。

 

本丸(南から)

 

上の写真が本丸です。

土塁くらいあっても良さそうですが、それはありません。

広場があるだけです。右手は少し高くなってます。

そこに小祠が祀られていました。

「城山八幡」とあります。

 

城山八幡

 

大高城のある丘は小高いだけあって、眺望は抜群でした。

そこはさすが、国境の城。

鷲津砦跡や丸根砦跡も望むことができます。

 

城跡からの眺望(西方)

 

ここから二の丸へ向かいました。ここへ来てやっと遺構らしい遺構が残っていました。

土橋です。

 

本丸と二の丸を結ぶ土橋

 

土橋の下には堀跡が残っていました。

「おお、結構大きな堀が残ってんじゃん!」

と、テンションが上がりました。

 

本丸と二の丸の間の堀跡

 

そして二の丸へ。

 

二の丸(東から)

 

「もっといろいろ残っているかも!」

テンションアゲアゲなまま、二の丸を散策してみました。

やがて土塁があり、土塁の切れ目があって虎口のような曲がり方をした道が続いていました。

 

道なりに歩いていくと丘を降りて城跡を出てしまいました。

「ここが外郭になるのか。」

と見廻すと、堀と土塁が見られました。

 

二の丸外郭の土塁と堀跡

 

しかし、城跡らしい遺構はここまで。

 

大高城跡に対する期待は大きすぎました

大高城跡を実見してわかりましたが、遺構はあまり残っていません。

今まで発掘調査も行われていないようです。

それは附指定の鷲津砦跡・丸根砦跡も同様でした。

 

「そんなんで何で史跡に指定されてんの?」

って思うくらい。

 

これは推測なんですが、おそらく“顕彰”のための史跡指定だった、と思われます。

 

指定年を見ると昭和13年。

今の「文化財保護法」がまだ「史跡名勝天然記念物法」だったころの指定なのです。

おそらくこの城は、織田信長今川義元徳川家康のエピソードが重要視された史跡なのでしょう。

 

私は戦国時代には疎いのでよく知らないのですが、徳川家康が今川義元の人質だった時期(すなわち、松平元康と名乗っていた頃)に、義元の娘婿だった鵜殿長照がこの城で織田信長の兵糧攻めに遭っていた時に家康が機転を利かせて信長の目を騙し、見事に兵糧を運び入れたそうなのです。

 

その時、信長が大高城を包囲するために築いたのが鷲津、丸根の両砦だったそうです。出城ではなかったんですね。

 

遺構としては見所が少ない大高城ですが、今でも根強い人気を誇る戦国大名が3人も関わるエピソードが残るお城だったんですね。

 

ちなみに“顕彰のための指定”については、文化財行政の歴史に関わるお話になるのですが、おもしろいのでもう少し調べてから、いずれここで語りたいと思ってます。

 

散々ディスっといてなんですが、それでも次回は鷲津砦丸根砦の両城跡を紹介します。