電気通信大学管弦楽団定期演奏会 | 音楽な日々

電気通信大学管弦楽団定期演奏会

$音楽な日々-電通大2
ベートーヴェン エグモント序曲
シベリウス カレリア組曲
チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」

大田区民ホール アプリコ

本番が無事に終わりました。

無事なんてものではありません・・・名演でした。

練習は大変でした。私の望むこと、目指すもの・・・世の中の常識からは随分外れているらしいです(苦笑)でも良い音楽を作るためにはどうしても避けて通れないのです。世の中の多くのアマチュアオーケストラが無難で安全運転をして、平凡な演奏に終わってしまう。縦の線が揃わないとか、音程とか・・・もちろんもちろんそのことは大切なのだけれど、逆に言えばそれは積み上げるブロックの形が四角いかとか、ブロックの数があっているか、とかそういうレベルの問題。あっていて当たり前。もちろんアマチュアだからその辺が完全というわけにはいかない、でも、そこまでで終わってしまってはいけないのですよ。ブロック積み上げて、まあ例えればレゴみたいなものでお城を積み上げたら、そこで終わりじゃないんです。でも多くの演奏がそこで終わってしまう・・・。プラスチックのブロックで作ったおもちゃのお城だってバレバレになっちゃうじゃないですか。私はそこから表面を滑らかにするんです。本物のお城にするんです。中の部屋も、家具も、室内の装飾も。表面はプラスチックのブロックとはわからないように、滑らかな曲線で繋ぐんです。そして色も塗ります。汚れをつけて長い年月が経ったように見せなくちゃいけないし、余裕があったらツタも這わせて、木も植えて、庭も作ります。そしてさらに出来ればそこに人形じゃなくて本当に動いている生きた人も配置・・・。

書けば当たり前のことですね。音符を音にしただけでは、それが正確である、というだけでは音楽にはならないんです。そこから人の音楽にするんです。人間の心を描くんです。演じるんです。
ベートーヴェンを、シベリウスを、そして若き日のチャイコフスキーの心をみんなで演じる。

普通ならきちんと演奏するだけだって大変だし、そのことだけでも大成功って言われるアマオケの世界で、生きた音楽をやれと(生きた音楽ってなんだ?)、さらに毎回表現を深めるように(深める?)。毎回同じ演奏じゃダメ(なんじゃそりゃ?)・・・等々
そのうえ、棒を見ろ、と言い、さらには、棒に合わせるだけじゃダメ、と言われ・・・

いきなりそんなにいろいろ要求されてみんなもう崩壊しそうでしたね。
私もなんども途中で諦めようかと思いましたよ。正直。

でも、諦めたら私に今回の演奏会を委ねてくれたみんなの気持ちを裏切ることになると思いがんばりました。みんなもがんばってくれました。

本番・・・素晴らしい演奏会となりました。
本当に素晴らしい演奏会でした。
全ての曲が生きていました。全て。
緊張と言う文字が薄らいで消えていきました。本番中にステージのみんなは音楽に夢中になって音楽そのものになっていましたね。素晴らしいことです。

たくさんのお客様も喜んでくださいました。

どんな言葉を並べてもこの感動は書き切れませんが・・・とにかく名演でした。
最高の演奏が出来ました。大満足です。

本当にうれしい体験をしました。

みんなありがとう