「猫を棄てるー父親について語るときに僕の語ること」村上春樹 2 文藝春秋 2019年6月号より | 瞬間(とき)の栞 

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個人的な読書感想文、読書随想です。本の内容、あらすじができるだけ解るように努めています。
ただしネタバレがありますので充分ご注意ください!

 

「我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだ

 

ひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして

 

生きているだけのことなのではあるまいか。」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

春樹さんの父親は20歳の時、学業の途中で

事務手続き上の手違いで徴兵されることに

なりました。

 

 

 

輜重(しちょう)兵第十六連隊特務二等兵

として中国の地へ渡ります。

その後、三度も徴兵されることになるのです。

 

 

 

春樹さんの父親は、学問が好きな人でした。

 

 

 

父親はもともと学問の好きな人だった。

勉強をすることが生き甲斐のような

ところもあった。

 

 

 

文学を愛好し、教師になってからもよく

一人で本を読んでいた。家の中には

いつも本が溢れていた。

 

 

 

そんな彼は、この戦争体験をどのような

思いで捉えていたのでしょう。

 

 

 

春樹さんが子供の頃、たった一度だけ

父親は戦争のことについて語ったことが

ありました。

 

 

 

自分の属していた部隊が、捕虜に

した中国兵を処刑したことがあると

語った。

 

 

 

どういう経緯で、どういう気持ちで、

彼が僕にそのことを語ったのか、

それはわからない。

 

 

 

(中略)

 

 

 

中国兵は、自分が殺されるとわかっていても、

騒ぎもせず、恐がりもせず、ただじっと

目を閉じて静かにそこに座っていた。

そして斬首された。実に見上げた態度だった、

と父は言った。

 

 

 

父親は、その中国兵に対して敬意を

抱き続けました。

 

 

 

一方で

 

 

 

春樹さんは、軍刀で人の首がはねられるという残忍な

光景を、強烈に心に焼きつけることになってしまった

のです。

 

 

 

その経験を疑似体験するかのように、

春樹さんは、そのトラウマを部分的に継承し、

「人はそれを自らの一部として引き受け

なければならない」語っています。

 

 

 

また 「もしそうでなければ、

歴史というものの意味が

どこにあるだろうか」と問い

かけています。

 

 

 

思い出したくもない、語りたくもない

残忍な経験を、息子に語るという

のはどういう気持ちだったのだろう。

 

 

 

いや、語っておかねばならない。

春樹さんの言うように継承しなければ

ならないとその瞬間に感じた上で

語ったのかもしれません。

 

 

 

三度も徴兵され、三度とも

生還した。

 

 

 

棄ててきた猫が、家に帰ってきた

ときに、ほっとした表情になったのも

戦争からの生還を、自分の運命と

重ねたのかもしれません。

 

 

 

最後に猫にまつわる話がもう一つありました。

以前、小説の中でエピソードとして書いた

ことがあるそうです。

 

 

 

小さな白い子猫を飼っていたときのこと。

 

 

 

ある夕方、春樹さんが縁側に座っていると

子猫が松の木にするすると登っていきました。

 

 

 

しばらくすると

 

 

 

子猫は助けを求めるように情けない声で

鳴きはじめました。

 

 

 

高いところに登ったものの、怖くて下りて

これなくなったようです。

 

 

 

木を見上げても姿は見えない。

それくらい高いところまで登ったと

思われました。

 

 

 

春樹さんの父親にも来てもらって

助けようと試みたが梯子も届かない。

 

 

 

結局、夜が来て、次の朝には

もう鳴き声はなかったそうです。

 

 

 

夜のうちに下りてきたのかもしれないし、

木の上で必死にしがみつき、死んでしまった

のかもしれない。縁側に座りその子猫のことを

想像し、春樹さんは松の木をよく見上げました。

 

 

 

「降りることは、上がることよりずっと

むずかしい」ということだ。

 

 

 

(中略)

 

 

 

結果は起因をあっけなく吞み込み、

無力化していく。それはある場合には

猫を殺し、ある場合には人をも殺す。

 

 

 

この手記には

 

 

 

今まで僕が漠然とどう考えてもはっきりしなかった

こと、あるいは生死の実体を欠いた儚い幻想に

ついて言語化できなかったモヤモヤと頭の中で

燻っていたことが、あまりにもときめく言葉で

書かれていました。

 

 

 

 

我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだ

ひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして

生きているだけのことなのではあるまいか。

 

 

 

言い換えれば我々は、広大な大地に向けて

降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に

すぎない。固有ではあるけれど、交換可能な

一滴だ。

 

 

 

しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの

思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを

受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。

 

 

 

交換可能な一滴の存在がいかに重要で、

自分の人生にとって大きなものであったか。

 

 

 

本稿を読んで、僕の亡くなった父のことを想い、

偶然と奇跡に感謝しました。