「クリーム」 村上春樹 文學界7月号より | 瞬間(とき)の栞 

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「きみの頭はな、むずかしいことを

 

考えるためにある。わからんことを

 

わかるようにするためにある。

 

それがそのまま人生のクリームに

 

なるんや。それ以外はな、みんな

 

しょうもないつまらんことばっかりや。」

 

 

 

 

 

 

「クリーム」 村上春樹 文學界7月号

 

 

 

 

 

 

文學界 7月号に掲載された村上春樹さんの

短編3つのうちの1つ 「クリーム」

 

 

 

 

最近、どうしてもやりきれない

理解できない事件やニュースが

続きました。

 

 

 

 

「世の中にはそんな風な理由もない悪意が

山とあるんだよ。

 

 

あたしにも理解できない、あんたにも理解

できない。でもそれは確かに存在しているんだ。

取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。」

(「1973年のピンボール」 村上春樹 P92より)

 
 
 
 
 

どうすることもできない邪悪なこと、悪意にどう

立ち向かい対処すればいいのか・・・

 

 

 

 

「本当にここ数週間、心が苦しかった。」

 

 

 

 

そんなときに読んだ、春樹さんの短編新作。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぼく」が18歳のときの話。

その年の10月に、女の子からピアノ演奏会

への招待状を受け取りました。

 

 

 

その女の子は、ぼくと同じ先生にピアノを

習っていた、一度だけ連弾したことのある

女の子でした。

 

 

 

16歳のときに、ピアノレッスンに通うのをやめて

から顔を合わせたことがないというので、その

2年後のことなのでしょう。

 

 

 

なぜ彼女は、今頃になって「ぼく」を

ピアノ・リサイタルに招待したのだろう?

 

 

 

そのわけを知りたくて、「ぼく」は出席に○を

入れたのです。

 

 

 

当日、駅前の花屋で適当な花を買って

会場に向かいます。

 

 

 

神戸の山の上にある会場。

そこは閑静な高級住宅街。

 

 

 

ホールがあるような場所でもありません。

 

 

 

バスを降りて歩き始めてからも、1人の

通行人とも出会わない。

 

 

 

なんか、淋しく、ミステリアスな光景が

浮かびます。

 

 

 

招待状を取り出して、注意深く読み返しても

間違ってはいません。バス停の名前もあって

いるし、日時もあっている。

 

 

 

ようやく目指す建物に着いたとき、その大きな

両開きの鉄扉が固く閉ざされていることが

わかった。

 

 

(中略)

 

 

なにがどうなっているのかさっぱり事情が

わからなかったが、今日ここでピアノ・リサイタル

みたいなものが催されそうにないということだけ

は明らかだった。

 

 

 

 

「ぼく」は、気持ちを落ち着かせるために、

近くの公園の四阿(あずまや)のベンチに

腰を下しました。

 

 

 

やがて遠くから声が聞こえてきました。

肉声ではなく、拡声器を通した声。

 

 

 

「人はみな死にます」

 

 

 

キリスト教の宣教をする声でした。

 

 

 

ここで、ふと読んでいる僕は、う~んと

考えてしまいました。

なぜ『四阿(あずまや)』と書いたのだろう?

 

 

 

普通は、東屋と書くのが一般的なのに・・・・・

 

 

 

この四阿の四は死を意味しているのか?

拡声器の声も、死を語っている。

 

 

 

 

話に戻ります。

 

 

 

 

四阿で腰を下したあと、「ぼく」は考えます。

 

 

 

ぼくは彼女にかつがれたのかもしれない、

そこではっとそう思った。

 

 

 

彼女が「ぼく」にウソの情報を教え、だまされる

のを見て、ほくそえんだり、大笑いしているのかも

しれない。

 

 

 

しかし、そんな悪意を人は、おこなえるのか?

「ぼく」は彼女に憎まれるようなことをした覚え

はないのに・・・・・・

 

 

 

 

「ぼく」は、呼吸がうまくできなくなっていました。

 

 

 

ふと気がつくと、人の気配がありました。

 

 

 

四阿の向かい側のベンチにいつの間にか一人の

老人が座っていて、こちらを見ているのです。

 

 

 

 

老人が唐突に口を開きました。

 

 

 

 

「中心がいくつもある円や」

 

 

 

(中略)

 

 

 

「中心がいくつもあってやな、いや、ときとして

無数にあってやな、しかも外周をもたない円

のことや」

と老人は顔のしわを深めて言った。」

 

 

 

「そういう円を、きみは思い浮かべられるか?」

 

 

 

 

とても想像することが難しい、まるで禅問答のような

ことを老人は言ってきたのです。

 

 

 

老人は、血がにじむような真剣な努力があって、

それがだんだん、どういうものか見えてくると

言うのです。中心がいくつもあり、しかも外周を

持たない円のことを。

 

 

 

 

そして、そんな難しいことを成し遂げたあとには、

そのまま、それが「人生のクリーム」になると

語るのです。関西弁で。

 

 

 

「ぼく」は、何を言っているのかわからなかったし、

読んでいる僕も、何のことか全く理解できませんでした。

 

 

 

しかし

 

 

 

何か大切なことを「ぼく」に伝えようとしているのは

わかったし、僕も、中心がいくつもあって、外周を

持たない円について、真剣に考えました。

 

 

 

「ぼく」が考えていると、老人の姿は消えていました。

 

 

 

なにもわからないまま、「ぼく」はこう考えたのです。

そして、なにもわからないまま、僕も最近の理解できない

ニュースや事件について、こう考えるしかありませんでした。

 

 

 

 

「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが

持ち上がる。

 

 

説明もつかないし、筋も通らない。

しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が。

 

 

そんなときは何も思わず考えず、ただ目を閉じて

やり過ごしていくしかないんじゃないかな。」

 

 

 

 

これからも、考え続けることになるのかもしれません。

 

 

 

中心がいくつもあって、しかも

外周を持たない円のことを。

 

 

 

 

 

 

「クリーム」 村上春樹 文學界7月号より 文藝春秋

 

 

 

 

 

 

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