サヨナラ、グッバイ、さようなら。 | シャムヤスの<『波動』を大切にするBlog☆>

サヨナラ、グッバイ、さようなら。


昨日、
父方の【祖父】の告別式があった。


僕にとっては
最後の祖父母のお葬式だ。


天気予報では、
昼過ぎから雨。


2:45に寝て
4:45に起きる。


8:00に
タクシーに乗って出発。


なんだか
気分が乗らない。


そりゃあ、
そうだ。


お葬式だからね。


気分が乗ったら
逆におかしい。


祖父と会うのは
何年か前のお正月以来。


5年ぐらいか。もっと前か。


自慢話などが
聞いてて疲れるから、
会わなくなったな。


ウチの家系の
オトコらは、

みんな「ウザい」。


話してると
疲れるよね。


そんでもって
斎場に着く。


今日は、
寒い。


ブルブルして
歯がガチガチなる。


正直、面倒。


でも、
かなり遠い親戚も来るわけで。


そうも
言ってられない。


って言っても、
そんなに人数は来ない。


だから、
楽といえばラク。


お坊さんは、
4年?前の
祖母(父方)の時と一緒。


当然、
覚えている。


話したり、
食事をしたからね。


でも、
父はほぼ忘れていたらしい。


記憶喪失になったのか?と
思った。


「祖母」(父方)には、
個人的に色々
お世話になった。


斜め前のアパートに
住んでいた時は、


トランプで
神経衰弱をやったり、


カルタを
やってもらった。


インスタントのカレーや

近くのお魚屋さんの
お刺身を食べた。


テレビでは、


あぶない刑事や
アンパンマンを見た。


「祖母」は、

なぜか

ゴキブリのことを
アブラムシと呼んでいた。


ずっと不思議だった。


斎場には
かなり早く着いたが、


案外すぐに
時間が経った。


予定時刻の
10時少し前から
お経が始まった。


お坊さんと
その息子のお坊さんとの


お経のハモリがあった。


新しかった。


お焼香は
2度やったし、


お坊さんの次に

みんなで一緒に
お経を言ったりした。


お経の最中は、

なぜだか
イライラした。


「なんだ、これ?」


「なんだかなぁ。」


「やるせないなぁ。」


この3つを
繰り返し思った。


特に、
「なんだかなぁ。」は、


祖父が亡くなってから


500回は
口に出して言った。


今年の
個人的な流行語は、

間違いなく、これ。


「なんだかなぁ。」


今年、
一番言った言葉。


何を考えても
何を思い出しても、


どこかにぶつかり


「なんだかなぁ。」


考えないようにしても
考えてしまう。


そんでもって、

「なんだかなぁ。」。


お経が終わって、
棺に花を入れる。


そこで初めて
祖父を見た。


昨日の納棺は
行かなかったので、


そこで初めて
祖父を見た。


斎場には
早めに着いたのに

見ていなかった。


見たくない気持ちと
見てもなぁ。という気持ち。


う~ん、

なんだかなぁ。


5人で
マイクロバスに乗って
焼き場に行く。


まだ、
ギリギリ雨は
降っていない。


着くと、

これまた
めっちゃ寒い。


ガタガタ震える。


焼き場が
昨日休みだったせいか、


冬だからなのか
知らないが、


ものすごい
混んでいた。


焼き場は、
「祖母」とは
違う場所だった。


係りの人が
すごい速さで
さばいていく。


もうちょっと
タメを作っても
良いんじゃないか?って
思うぐらい。


まぁ、
毎日やっているし、


混んでいるわけで


そうも
言ってられないのだろう。


個人的には、

納棺の次に

焼き場は
イヤだなぁ。


毎回、
あぁ。と思う。


思っても
意味がないんだけどね。


あぁ。って。


う~ん。


なんだかなぁ。


色々と我慢して


眉間にしわを寄せて


あそこに入るのは
イヤだなぁ。


うーん。


でも、
実際
そうゆう人は
多いんだろうなぁ。


あの学校の焼却炉みたいな感じ、
イヤだなぁ。


そんでもって、

5人でお刺身付き

ご飯を食べる。


ご飯の上には、
椎茸が乗っていた。


少し話して
少し間があく。


その少しの間に
数の子を噛んだ

プチプチとした
音が響き渡る。


なんか
すごい笑えて

噴き出しそうになった。


お葬式に
悲しくなったり
落ち込んでも面白くないので、


終始、
一人で笑ったり
ニヤニヤしていた。


少し見方を変えれば、
いろんな所に笑いが落ちてる。


ただ
その笑いを共有する人は
誰一人としていなかった。


僕は、
昔から一人遊びを得意としていた。


あんまり
みんな遊んでくれなかった。


だから、
ガンダムの消しゴムで

ストーリーを作って
楽しんでいた。


そんなことを
ふと思い出した。


1時間ぐらい経った後、

骨を壺に入れた。


僕らの隣りと隣りの
待合室には、


たくさんの
家族連れがいた。


あんなに
親族がいたら
大変だろうなぁ。


40~50人ぐらいは
いた。


母によると、
子供の遺影も
あったらしい。


まぁ、
そりゃあそうだよなぁ。


でも、
可哀想だな。


なんだか。


祖父は
95歳だったわけだが、


若くして
自殺したり
病気だったり
事故だったりだったら、


家族は
悲しいだろうなぁ。


そんなことを
思いながら、


マイクロバスに乗って
お墓に向かった。


お墓に着くと、


前よりも
お墓が増えていた。


賑やかになっていた。


やっぱり
天気予報どおり
雨が降ってきた。


祖父(父方)は、

やっぱり
ただでは終わらせてくれなかった。


祖母の時は、


4月だったし、
晴れていた。


折りたたみ傘を開いて、

お墓の前に行った。


そこには、
葬儀屋さんが

張ってくれていた
白い四角のテントがあった。


そこに
5人が入った。


テントが小さくて、
みんな濡れた。


ただ不思議と
目は濡れていなかった。


遺影は、
濡れてはいけないので、


お墓の上には立てずに、
横にあるパイプ椅子の上に立てた。


お坊さんの息子さんが、
お経を唱え始めた。


みんな手を合わせて
祈った。


雨足が強くなった。


ふと横にある遺影を見ると、


雨粒が祖父の目にぶつかった。


その雨粒が、


祖父の涙に
見えないこともなかった。


お葬式って
面倒だ。


やる意味も
そんなにわからない。


生きてる人が、
変に悲しむのもおかしい。


お寿司やお刺身だって、

生きてるうちに
みんなで食べた方が良いし、


無理して
集まれるんだったら


みんなで
お見舞いに行った方が良い。


なんか

おかしい仕組みといったら

仕組みだよなぁ。


昨日は、


誰かのために
お葬式に行ったわけではない。


自分のために行った。


お葬式って
煩わしいけど、


行かないで


その一瞬の煩わしさを
一生の煩わしさにしたくなかった。


ただ
それだけだった。







父は、
お坊さんに


「親が2人とも亡くなったから、
 これで本当に(息子たちの)親になったね。」と


言われて
喜んでいた。


そんな
表面を筆で撫でられただけで
喜んでいちゃダメだよ。


これで
予定が変更になって


式後のスピーチをやることになった。。


その出来は
言うまでもない。。


その場の人たちが
みんな


ポカン?


となった。









ある日の
ラジオ深夜便で


死のプロフェッショナルが


「サクサク生きた人は、
 サクっと死ぬ。」


「ベタベタ生きた人は、
 ベタベタ死ぬ。」


と言っていた。